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第2章:汐火垂(しおほたる)の向こうへ(2-1)
ばん、ばん、と。
何か固い物を全力を込めて殴りつけるような音と共に、鋭い剣幕の叫びが聞こえる。亡き母が使っていた部屋からだ。
自室に戻って傷の手当てをしていたアイビスは、その音声を聞き流す事ができなかった。消毒液が染みてまだひりひりする足に包帯を巻くと、ゆっくりと立ち上がり、扉を開ける。
王宮内の廊下を歩いて、元母の部屋へ向かう。扉の前には、焦げ茶色の巻き毛の青年が立ち、黒の瞳を憂いに細めていた。
「ファディム」
名を呼ぶと、義兄ははっとこちらを向き、眉間に皺を寄せながら、唇の前に人差し指を立てる。恐らく彼は、意図的に姉が爪弾きにしたのだろう。盗み聞きをしているなどと知られたら、どんな嫌味を投げつけられるかは、想像に容易い。
軽くうなずき、足音を殺して彼の前に立ち、耳を澄ます。
「あんたを助けたのは、このあたしなのよ! 言う事を聞きなさい!」
「違う! お前、違う! 朱い、鳥、違う!」
「五月蝿い!」
ばんばんと何かを叩く音と共に、怨嗟すら込めた怒号が飛び交う。その後で、ぱん、と鋭い何かが叩きつけられる音がして、更なる悲鳴があがる。
「命の恩人にその態度。流石は人間の言う事なんて聞かない、勝手気ままな魚の性質ね」
でもね、と。地を這う蛇のようにねっとりとした、欲に満ちた姉の声がする。
「あんたは黙って、海底のお宝を差し出せばいいのよ!」
またひとつ、ぱん、と打ち付ける音と悲鳴が響いた。
「ったく、強情ね。素直に言う事を聞けば、楽になれるのに」
強欲を隠しもせずに、姉が舌打ちする。
「まあいいわ。あたしの言う事を聞くまで、あんたは絶対に海に帰さない。認めさせるわよ。『あたしが』命の恩人だって」
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