第3章:水底に揺蕩う雪(5-3)

1/1

7人が本棚に入れています
本棚に追加
/50ページ

第3章:水底に揺蕩う雪(5-3)

 サシュヴァラルと共に、凜とした表情で広間に入ってきたアイビスを見た時、メーヴェリエル女王は一瞬、明らかな驚きで蒼い目を見開いた。が、すぐに余裕を取り戻すと、青い唇をにやりと持ち上げる。 「よく帰ってきたの」  そして、興味津々で玉座から少し身を乗り出してきた。 「宝はわかったか?」  問いかけに、アイビスは深くうなずき、そしてはっきりと口にした。 「『絆』です」  まるで謎かけのような宝探しではあったが、地上の民と海の民が手を取り合い共に生きる事を示すには、最高の宝であった。それを今、ひしひしと噛み締める。  アイビスの答えは、間違っていなかったのであろう。メーヴェリエルは満足げに深くうなずき、「合格じゃ」と、錫杖をしゃんと鳴らした。脇を固める兵達も、笑顔で拍手を送ってくれる。これでアイビスは、晴れて海の民の仲間となれたのだ。 「して」  女王が眉間に皺を寄せ、アイビスの傍らにかしこまる我が子を見やる。 「レヴィアタンはどう治めた? その様子では、そこなどら息子が倒した訳ではなさそうだが」  その言葉に応えるように、アイビスは自らの右手を、女王に見えるよう差し出した。蛋白石の指輪は今は静かな輝きをたたえ、ただ指にはまっている。だが、それを目にしたメーヴェリエルは、先程以上の吃驚を面に満たし、玉座から腰を浮かせた。 「そなた」震える声が、女王の唇から零れ落ちる。「そなたの母の名は」 「リザです」  何をそんなに驚愕しているのだろう。不思議に思いながら答えると、途端に女王の顔が、泣き出しそうなのを必死にこらえるかのようにくしゃりと歪んだ。 「リザは、リーゼロッテは」  大事に舌に乗せるように、メーヴェリエルはそれを告げた。 「わらわの妹、この海の王族じゃ」  今度はアイビスが驚きにとらわれる番だった。だがすぐに、青い髪と瞳を持っていた母の容姿に納得を得る。記憶を辿れば、母と目の前の女王の顔立ちにも、共通する点が見受けられる。 「その指輪は、海の王族が海の民を鎮める力として、我ら姉妹の父が海の魔女に作らせ、リーゼロッテに贈ったものだ」  リーゼロッテはとても好奇心旺盛な人魚で、地上に憧れを抱き、よくエレフセリア海面の岩場に上がっては、人と同じ足に化けて、人間達の生活を眺めていたという。そこでストラウス王に見初められ、真に地上の民となった。  だが、人魚が陸に上がれば、代償に、その寿命は恐るべき勢いで削り取られる。メーヴェリエルは姉として妹の身を案じ、海に戻るよう兵を説得に向かわせたが、王妃となったリーゼロッテの決意は揺らがなかった。 『地上には、私を愛してくれる人がいる。私が愛する娘がいる。その人達を置いては帰れないわ。それに』  それから、彼女はエレフセリアの遙か空を見上げ、満足そうに微笑んだという。 『地上の空は、美しい。私はそれを見ていたいの』  その後、彼女が人として儚い天寿を全うした事を知り、メーヴェリエルはそれきりエレフセリアには興味を失っていたのだ。 「……その忘れ形見が、そなたか」  話を終えた女王が玉座を離れ、傍らの兵に錫杖を託すと、虹色の鱗持つ下半身でゆっくりと水を蹴り、アイビスと真正面から向き合う形になる。 「たしかに、色は違うが、そなたには妹の面影がある」  頬に触れた手が細かく震えている事から、メーヴェリエルの感動が伝わってくる。 「教えておくれ、アイビス。妹は、そなたの母は、幸せであったか?」 「恐らくは、はい」  アイビスには、母の考えの全てはわからない。だが、己が身を不幸と嘆いた事は、記憶の限り一切無い。 「母はいつも笑っていました。父を、私を、エレフセリアの民を深く愛してくれました。善き母でした」  その答えに、メーヴェリエルの瞳に優しい光が宿り、両腕が伸ばされ、ひんやりとした感触が肩を包んでくれる。 「そうか、ありがとう」  万感の思いを込めて、女王が、いや、伯母が告げてくれる。 「『おかえり』、アイビス」  優しい抱擁は母の腕を思い出させ、目から放たれたものが水中に混じる気配がする。アイビスも腕をメーヴェリエルの背にしっかりと回し、少し掠れた声で返した。 「『ただいま』、伯母様」
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加