第4章:人魚姫は泡に還るか(1-1)

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第4章:人魚姫は泡に還るか(1-1)

 王妹の娘がマル・オケアノスに帰還した事は、瞬く間に城中に伝わり、それを祝って盛大な宴が催される事になった。  その準備の間に、「存分に着飾っておいで」とメーヴェリエルに優しく告げられた事で、アイビスはひとりの人魚に連れられて、薄布の衣装がずらりと並ぶ部屋へと連れてゆかれた。 「シャオヤンテ」とぶっきらぼうに名乗った彼女は、この城に初めて来た時、門の前で待っていた少女だ。赤い髪と瞳を持つアイビスに似合いそうな服をてきぱきと選んで、「ん」とこちらに突き出す。 「ん」で突き出されても、衣装は一応人間向けなのだろうが、胸と腰回りを申し訳程度に隠すほどに露出度が高い。それ以前に、今まで着ていた服を水中で脱ぐのが一苦労で、のたのたしてしまう。するとシャオヤンテがわざとらしく大きな溜息をついて、「もう、どんくさいなあ」とぶちぶち文句を言いながらも、慣れた手つきでアイビスの着替えを手伝い、陸の王女から海底の姫へと変貌させてくれた。  巨大な貝を磨いた姿見で己の格好をまじまじと眺める。水着のような緋色の衣装に、貝殻を編んだ飾りがあちこちについて、水の動きに合わせて揺れている。母や姉に似ず、胸に膨らみが無いのは密かな悩みだ。そして脚は太腿まで素肌をさらし、すうすうして落ち着かない。恥ずかしそうにこちらを見つめる、鏡の中の自分と向き合っていると。 「ぼさーっとしてるんじゃないよ。きっとサシュヴァラルが待ちくたびれてるんだから」  シャオヤンテが柱に寄りかかって腕組みしながら、つっけんどんに声をかけてきた。その態度に、アイビスの脳裏にひとつの可能性が浮かび上がってきて、疑問は口を衝いて出る。 「サシュの事が好きなの?」  たちまちシャオヤンテが驚きに目をみはる。だが。 「ハァ!?」  裏返った声をあげる彼女の口から飛び出してきたのは、アイビスの予想からは斜め上に外れた答えだった。 「サシュヴァラルはボクの兄貴だよ! 何が楽しくて、年がら年中キミの事を惚気てばかりの兄を好きにならなきゃいけないのさ!?」  今度はアイビスが呆気に取られる番だった。サシュヴァラルが兄という事は、彼女もメーヴェリエル女王の娘であり、自分とも血の繋がりがある親戚という事になる。意外な血縁者の出現にアイビスが目を白黒させていると。 「でも、まあね」  と、シャオヤンテがぷう、と溜息を吐き出した。 「馬鹿兄貴のせいでキミを恨むのはお門違いだからね。友達になってやってもいいよ。実際、従姉妹なんだし」  態度には少々難があるが、配慮は十二分に備えている子のようだ。メーヴェリエルやサシュヴァラルの性格を顧みても、本当に悪い人魚ではないらしい。それがわかると、自然に笑みが零れて、「ありがとう」と、アイビスは右手をシャオヤンテに向かって差し出した。 「じゃあ、あなたの事を、シャオ、って呼んでも良いかしら」  シャオヤンテは、珍しい物を見るような目で、差し出された手を見下ろしていたが、やがて、唇をあひるのように尖らせると。 「しょうがないなあ」  相変わらず素直ではない言葉を吐きながらも、手は素直に、ひんやりと握り返してくれた。 「シャオヤンテ」その時、部屋の外から、サシュヴァラルの呼びかける声がした。「アイビスはまだか」  声色からも、待ちきれずに焦れているのがうかがえる。シャオヤンテが呆れきった表情を向けて肩をすくめたので、アイビスも苦笑いを返し、そっと床を蹴って部屋の外へと泳ぎ出てゆく。  サシュヴァラルは、自らも先程より貝殻や骨の飾りが増えた格好をして、廊下で待っていた。アイビスの姿をみとめると、ぱっと笑顔を弾けさせながら泳ぎ寄ってきて、その逞しい腕で少女を抱きすくめる。 「綺麗だ。どんなに光る鱗を持つ海の魚よりも、美しくて、可愛らしいよ」  直球の心地良い声が耳をくすぐり、触れ合う肌の範囲が広くなった事で、気恥ずかしさが増す。許婚のジャウマは、決してこんな風にアイビスを褒めも認めもしてくれなかった。 「あ、ありがとう」  嬉しさと面映ゆさにアイビスが頬を朱に染め、もじもじと返すと、 「ああ、あてられる」  二人の背後で、シャオヤンテが耐えられない、とばかりに天井を仰いだ。
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