第4章:人魚姫は泡に還るか(1-2)

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第4章:人魚姫は泡に還るか(1-2)

 ごく自然に腰に手を回すサシュヴァラルに導かれ、アイビスは再び城の広間へと向かう。そこには、今まで遠巻きにアイビスを見ていた人魚達がつめかけ、主役の登場にわっと場が沸いた。 「あなたがリーゼロッテ様のご息女?」 「教えてください、地上はどのような風景なのですか」 「ごはんはおいしい?」 「サシュヴァラル様が、空を飛ぶあなたの美しさをそれはもう毎日のように語っておられました。空とは、いかなるものなのですか」  金髪に緋色の鱗を持つ女人魚。紫の髪と鱗を持つ、サシュヴァラルより屈強な男人魚。銀髪に緑の鱗をした少女。髪も髭も真っ白だが、紺碧の下半身はいまだ美しく輝く老人魚。様々な人魚達がアイビスを取り囲み、口々に質問を浴びせかけてくる。陸の民と海の民が戦によって分かたれたのは千年近くも前。その悲惨な時代を知らない今の人魚達には、地上は純粋に興味の対象として見えるのだろう。矢継ぎ早に問いかけられ、アイビスがくらくらしていると。 「馬鹿みたい」  盛り上がった場の水温を一気に冷やす、冷徹な声が浴びせかけられた。皆の視線が一斉にそちらを向く。腰までの長い薄緑の髪と、翡翠のような鱗持つ魚の下半身をした、アイビスとそう歳の変わらないだろう女人魚が、不機嫌そうに銀色の瞳を細め、まっすぐにこちらを睨んでいた。 「自分達を地上から追いやった連中の子孫なんてちやほやして。何をされたのかも忘れて浮かれて、海の民の誇りなんて微塵もありゃしないわ」 「エスタリカ」アイビスを囲む誰かが彼女をたしなめる。「リーゼロッテ様のお子様に失礼よ」  だが、エスタリカと呼ばれた人魚は、反省の色を見せるどころか、殊更憎々しげに唇を歪め、暴言を放つ。 「海を捨てて地上の空に狂った女になんて、敬意を払う必要も無いわ」  そう言い捨てて、彼女はふいっと背を向けると、翡翠色の下半身で水を蹴り、広間を出て行った。  しばし、気まずい沈黙が落ちる。  そう、サシュヴァラルやメーヴェリエル達があまりにも優しいので、つい忘れていた。自分は地上の人間。海のひとびとにとっては過去の仇敵だ。憎しみを身に浴びる可能性の方が高かったのだ。 「気にするなよ」  アイビスが落ち込むのも織り込み済みだったのか、シャオヤンテが傍らに泳ぎ寄ってきて、低い声で耳打ちした。 「あいつ、サシュヴァラルに昔から言い寄っててさ。でも、兄貴はキミにぞっこんで見向きもしなかった。ただの逆恨みさ。まあ、諸悪の根源は兄貴だけど」  最後の部分は少し声量を大きくして、アイビスの腰を抱いているサシュヴァラルにわざと聞こえるように強調する。シャオヤンテの意図通り、しっかり耳に届いたのだろう。当の『諸悪の根源』は、困ったように眉根を寄せて、肩をすくめた。 「さあ、さあ、湿っぽいのは無しにするのじゃ。食事を持て!」  澱んだ雰囲気を変えようと、メーヴェリエル女王が軽快に手を叩く。水の中でも『湿っぽい』などという比喩があるのか、とアイビスが考えているうちに、人魚達が大皿を手に広間へと入ってきた。  魚や貝類の刺身、食べやすく殻を割った甲殻類、海藻と共に盛り付けられたフジツボ。エレフセリアでも口にした事の無い食材を用いた料理が、次々と運び込まれる。海の仲間を食べてしまっても良いものかどうか、伯母が自分に気を遣ったのではないかと、アイビスはひやひやしたが。 「気にしなくていいさ」  そんな彼女の恐れを察したか、サシュヴァラルが耳元に唇を寄せて、囁きかけた。 「海の民はお互いに補い合うんだ。俺達は小さな民を食事としていただく。代わりに小さな民は、死んだ人魚をつついて栄養とし、海に還す。遙か昔からの、文に無い盟約だ」  大きな魚に付いて泳ぎ回り、守ってもらう代わりに、纏わり付くプランクトンなどを食べて掃除をする小魚がいるという。そんな相互扶助の関係が、他の海の生物の間にも確立しているという訳か。アイビスが納得する間に、料理が取り分けられ、中身が水中に溢れ出さないように作られた海水晶の球形グラスに収まった青い飲み物と共に、広間にいる者達に等しく配られる。
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