第4章:人魚姫は泡に還るか(4-1)

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第4章:人魚姫は泡に還るか(4-1)

 どおん、と。  唐突に海底の城を揺らした震動に、アイビスの身体は寝台から浮きかけてサシュヴァラルに抱き留められ、シャオヤンテは慌てふためいた様子で柱にしがみついた。水中を舞っていた灘雪が、突然変わった流れに乗り、右へ左へと翻弄される。 「火山の爆発か!?」  アイビスを腕の中に収めたサシュヴァラルが周囲を見回す。そう、海底にも地上と同じように噴火をする場所があって、時折その水勢が海上にも飛び出してくるのは、エレフセリアに訪れる地震から、観測する事が出来た。しかし、地揺れにしては、どおん、どん、と、城を揺らす衝撃は断続的に続き、自然現象ではないのではないかという危惧が、胸に訪れる。  果たして、アイビス達の不安は的中した。 「サシュヴァラル様!」  銛を手にした兵達が、急いた様子で部屋に泳ぎ入ってくる。 「エレフセリア兵の襲撃です、シャオヤンテ様、アイビス様と共にご避難を!」  それを聞いた途端、サシュヴァラルの横顔に緊張が走り、アイビスの心臓は、ぎゅうっとつかまれたような痛みを覚える。  エレフセリア。随分と遠くなってしまったように感じる故郷。かの国の兵が海底に攻めてくるとは、一体全体どういう事だ。タバサが自分を探して兵を派遣したのか。そう考えて、いや、と首を横に振る。あの傲岸不遜な姉が、いなくなった邪魔者を今更取り戻そうと動いてくれるはずが無い。それに、人魚の血を飲まねば地上の人間は海底では長く保たない。その摂理を、彼らはどのように打ち破って、この海の底へ訪れたというのか。  いずれにしろ、良からぬ状況が訪れた事には変わりが無い。それが証拠に。 「……アイビス様が手引きをしたのではないかと、疑いをかけている者もおります」  兵の一人が、言い出しにくそうに紡いだ報告に、アイビスも、サシュヴァラルも、シャオヤンテも、表情を固くする。 「どうか、彼らがアイビス様に危害を及ぼす前に、陛下のもとへ」  最も危ぶんでいた方向へ、事態は転がっているようだ。これは兵の言葉に従って、大人しくメーヴェリエル女王の所へ避難する訳にはいかない。エレフセリア王女として、祖国の者達と向き合い、説得して、地上に帰さねばなるまい。  熱でふらふらする身体を何とか律し、サシュヴァラルに願いを告げようとした時、アイビスの耳に、水流に乗って、呻くような声が聞こえてきた。 『アイビス……、アイビス……!』  自分を呼ぶその声はひどく苦しげで、わんわんと幾重にも反響して聞こえる。しかしその声に聞き覚えがあって、アイビスは目をみはった。 「ファディム……?」 「あいつが、どうして?」  義兄の名を口にすれば、サシュヴァラルが驚きと苦々しさを込めた顔で見下ろしてくるので、ふるふるとこうべを横に振る。何故、ファディムの声が聞こえたのかはわからない。だが、汐火垂の向こうに崖から落ちる姿が最後の記憶となった彼が、五体満足で王宮へ帰って、平然と姉の隣に立っているとは思えない。何か良からぬ目に遭っただろう事は、容易に想像出来る。それが故に、アイビスを呼んでいるのだろう事も。 「サシュ」  油断すれば力が抜け、その場に崩れ落ちてしまいそうな身を必死に支えながら、人魚の王子の肩にすがりつき、懇願する。 「わたしを、連れて行って。あの声の元へ」  途端に、サシュヴァラルの深海色の瞳が険を帯びた。彼がファディムを嫌っている事は重々承知している。アイビスを彼に会わせたくない、と思っているだろう事も、容易に想像出来る。  だが、ファディムの身に何かが起きているとしたら、そこまで追い詰めたのは、サシュヴァラルを救おうと無茶をした自分の責任だ。落とし前は、つけなくてはいけない。自分はまだ、彼を疑った事を、謝ってもいないのだ。 「お願い」  サシュヴァラルの瞳をじっと見つめ、熱と共に、(こいねが)う。彼もまたアイビスの瞳に宿る炎を真摯に見つめ返し、数秒、押し黙っていたが、やがてつっと視線を逸らし、 「……わかった」  と、神妙にうなずくと、再びアイビスに向き直る。 「だけど、絶対に俺から離れないでくれ。無理もしないでくれ。約束出来るか」  この真剣なまなざしを裏切りたくはない。無茶をして、彼の目の前で泡となって消える無様を為したくはない。熱を持つ拳を胸元でぐっと握り込んで、大きく首肯した。
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