第1章:陸(おか)の赤き姫と、海の青き人魚(3-1)

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第1章:陸(おか)の赤き姫と、海の青き人魚(3-1)

 温かい湯で海水を洗い落とし、肩まで湯船に浸かる。ずぶ濡れで冷え切っていた身体は芯まで温まり、溺れかけた恐怖も流れ去ってゆくようだ。落ち着きを取り戻した身に生成りの質素なシャツとスカートをまとい、虹色の蛋白石(オパール)を抱いた指輪を右の薬指に通す。首からは、淡い夕暮れ色の貝殻を加工したペンダントをさげた。  指輪は母リザの形見だ。青い髪と瞳を持つ美貌の彼女はある日、海辺で歌っていたところを、長女タバサを産んだ后を早くに失い憔悴していたストラウス王に見初められた。半ば強引に王宮に連れてこられた形だが、それでも母は父を深く愛し、前妻を失った王の心の(うろ)を埋めようと笑顔で隣に座り続けた。それだけでなく、周囲にも優しくたおやかに接する姿は、人々に好感を与えて慕われ、幼いアイビスの目にも、とても素敵な人だと映ったのだ。  そしてペンダントの貝殻は、記憶の彼方のいずこかで、青い印象を残す少年からもらった、と認識している。 『僕、海、泳ぐ。君、空、泳げる』  そう言って笑った、淡い青髪の彼との約束を果たしたくて、幼いアイビスは図書室の扉を開いた。空を飛ぶ翼の本を見出し、一人ながら木と布を集めて、図に示された通りに組む。その間は、『馬鹿がまた無駄な事をしてるわ』という姉の嘲笑も耳を通り抜けていった。  そして、かろうじて空を滑空する翼を初めて作って、海の上を飛んだ時、少年はアイビスと一緒に笑いながら眼下の海を征き、二人はたしかに、海と空を共に泳いだ。  そして夕暮れの岩場で、アイビスは地上に立ち、少年は海から上半身を出した状態で見つめ合い、別れの時が訪れた事を幼心に感じ取った。 『君、朱い、鳥。輝き。僕の手、届かない」  覚束ない口ぶりで少年はまっすぐにアイビスを見上げ、その手に、夕陽と同じ色の貝殻を握り込ませると、儚げに微笑った。 『いつか、君、見せたい。僕の、海』  そして、身を乗り出し、アイビスの頬にひんやりとした唇を触れさせて、身を翻し、海へと去った。以後、アイビスは姉の悪口を浴びても、以前ほど凹まずに、前向きに立ち直る事が出来るようになった。 『あなたは、海の底のひとと出会ったのよ』  姉に嘘つき呼ばわりされ、父にも苦笑されて、誰にも信じてもらえなかった、と泣いていたアイビスを抱き締めて、母が教えてくれた声は、今も耳の奥で響いている。少年の唇の感触も、たしかにこの胸の奥に仕舞われている。そんな思いやり深い母の事を忘れないように、そして、少年に再会した時に、自分はあなたのおかげでこんなにも強くなったと胸を張って言えるように。それらは常に身につけている思い出達だった。
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