7人が本棚に入れています
本棚に追加
第1章:陸(おか)の赤き姫と、海の青き人魚(3-3)
『ジャウマ様が国政の指揮を執られるならば、エレフセリアも安泰だ』
国民は口を揃えて彼を高く評価する。だが、その人気とは裏腹に、アイビスは許婚として彼と引き合わされた時から、馬が合わない、と直感した。
歳が離れているからではない。王族ならば、親子ほど歳が離れた男女が結婚する事も、歴史書を紐解けば珍しくはないし、実際アイビスとジャウマの年齢差は二十五。地位と金を狙って言い寄る女性達は後を絶たなかったのに、「私ごときでは分不相応であります」と独身を貫いて四十路に乗った彼は、傍から見れば、謙虚が過ぎて婚期を逃した実力者が、やっと身の丈に合う結婚相手を得たのだと、喜ばしい事象として映るのだろう。
だが、美味しい果実が手の届かぬ場所に行ってしまった事に、手布を噛み締めて悔しがる女性達には悪い気はする。だが、アイビスはジャウマに対して、婚約から半年経った今も、他人行儀を貫いている。その理由を、自覚しているのかいないのか、今日も彼はその分厚い唇から放つのだ。曰く。
「君も年頃の娘だ。タバサ様のように着飾って、綺麗にしてこそ、原石は光り輝くというもの。それが私の隣に立っていてくれれば、民も安心するのさ」
言葉尻だけとらえれば、国と姫を想うように聞こえるだろう。だがアイビスには、これがいかにも、女性を自分の所有物として見ている発言であるとしか思えなかった。実際ジャウマは、手癖なのか口髭を右手でいじりながら、アイビスの格好をしげしげと眺め、溜息をつくのである。
「大陸中央から良い服が届いているだろう。後でタバサ様と一緒に楽しく選んで、もっと美しくなると良い」
アイビスの胸に、更なる不信の芽が顔を出し、根を張ってゆく。この男は本気で、アイビスとタバサが和気藹々とお洒落の話に花を咲かせる事が出来ると思っているのだろうか。姉の傍についていながら、王女二人の仲を正しく把握する事が出来ないほど、愚かではあるまいに。姉はうちの妹はしょうもないうつけだと、彼にも延々と愚痴を洩らしているだろうに。
本当に仲を取りなそうとしているのか、それとも出来ない事を押しつけて馬鹿にしようとしているのか。判断がつかないのが、より一層アイビスの苛立ちを募らせる。
第二王女の不興を買っていると、わかっているのかいないのか、将軍はぴん、と口髭を指先ではねて、その手をこちらに向けて恭しく差し出す。
「とりあえず、今日はそのままの格好で構わないさ。お義父上のお見舞いに行こう」
そう、日に一度、王女達は己の相方を伴い、揃って父王ストラウスの部屋を訪れる。それは以前からの日々の習慣だったが、ここ半年は、そこにジャウマも加わっている。
正直なところ、アイビスを己のコレクション程度にしか見ていない彼と手を取り合うなど、鳥肌も立つような仕打ちだ。まだ結婚前なのに、ストラウスを義父と呼ぶふてぶてしさも、嫌悪感に拍車をかける。
だが、王族が個人的な感情で、課された行いを放棄する訳にもいかない。ことさらむっつり顔を作りながら、差し出された手に静かに己の手を乗せると、中年男の生温い感触と共に、やや強引に握り込まれた。
「さあ、行こう。我が姫君」
ジャウマがこちらの手を引いて歩き出す。成人男性の歩調に合わせるのに必死で、ややよろめきながら歩を踏み出す。手を繋いで歩くだけでこんなにちぐはぐなのに、夫婦になった時、お互いを思いながら上手くやってゆく事などできるのだろうか。懸念するアイビスの足取りは、枷をはめられているかのように重かった。
最初のコメントを投稿しよう!