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二週間前
すべては、彼の来訪から始まる。
「……はあ……」
お腹が、空いた。そんなしょうもないことを考えながら、日暮咲人は移民都市・ルーンガーデンシティの第十一地区”月光”にある中央アカデミーへ、地下鉄を乗り継いでやってきた。着慣れないブレザーの制服は、少しサイズが大きい。
(おっきな、門だな……)
現在サキトが身を寄せている叔父の家のある第三十七地区”メメント”とは、建物の立ち並ぶ街並みもまるで違う。巨大な門を、昨日送られてきたIDカードをスキャンさせてくぐり抜け、警備員に挨拶をして敷地に入る。
(広っ……)
あまりにも広大なその敷地内には、幼稚園から大学まですべてが揃っているという。どこが高等部なのかもよくわからず、支給されたタブレットで地図を表示しながらうろうろと歩いていくと、やがてそれらしきコンクリートの建物を見つけた。
「ここ、かな……」
再びIDカードをスキャンして、高等部の建物の中に入っていくと、後にそれは裏口だったことを知るのだが、すぐに教員室にたどり着けた。最初に訪ねろと言われていたことを思い出し、ノックをして扉を開けると、手前のデスクに座っていた栗毛の女性が振り返る。すると彼女は、サキトを見て目を細めた。
「おや、知らない顔だな。……ひょっとして転入生かい?」
「あ、はい……日暮咲人といいます。三年E組のはず、です……」
「ああ、レスターのところだね。おおい、レスター! 新入りだよ!」
立ち上がった彼女が呼びかけた先にいた、眼鏡をかけてカーディガンを着た細身の男が「ああ、日暮くん。こっちへどうぞ」と手招きをする。助けてくれた女性教師に礼を言って、眼鏡の男性ことレスター教師の方へ近づいていくと、意外と若いことがわかった。いかにも文学青年といった佇まいのレスター氏が言った。
「ちょうど、隣の席になる真名本くんが来てるんだ。真名本くん、彼を一緒に教室まで案内してあげて。席は隣の空いてるのを使うから」
「わっかりました~」
真名本、と呼ばれたのは、レスター教師のすぐそばに立っていた生徒だ。髪を珍しいピンク色に染めて、制服は適度に着崩している。
(まなもと、って、変わった名前……)
じっとこちらを見やる整った顔立ちは不良でもなさそうだが、真面目な生徒という感じでもない。とサキトが思っていると、真名本少年がにかっと笑った。その頬が膨らんでいるのは、おそらく棒付きキャンディをなめているのだろう。教員室で随分な振る舞いだが、レスター氏とは親しいのだろうか。すると手が差し出されたので、戸惑いながらもその手を握った。
「おれ、真名本 愛児! 愛するに児童の児で、アイジね。よろしく!」
「えっと、よろしく……日暮、サキト、です」
「サキトかあ、かっこいい名前じゃん。よし、行こう!」
ぎゅっと握った手を引かれて、レスター教師が見送る中教員室を飛び出すと、アイジがぱっと手を離し、へへっと笑った。どうも、見た目によらず人懐っこい性格らしい。
「今日から転入生が来るっていうから、皆待ち構えてるけど、あんまりビビんなくていーからな! てか、思ってた以上に可愛子ちゃんで、皆のほうがビビりそう」
「か、わいこちゃん?」
そんなことは、言われたことがない。驚いてサキトが聞き返すと「だってそうじゃん! 超~可愛い顔してる、女の子みてえ!」とアイジが笑った。
(ええ……?)
そう、だろうか。確かに母親によく似ているとは言われるが……屈託のないアイジにそう言われると、不思議と腹も立たない。くすっと苦笑すると、アイジが「いいね、笑うともっといい!」と背中を叩いた。なんだか、憎めない少年だ。
「で、どこの地区から来たの?」
「いや、もっとずっと、遠いところ……ルーンガーデンシティは、初めてなんだ」
「え、マジ!? じゃあ、色々教えてやるよ」
「本当? ありがとう……」
叔父はこの移民都市のことをろくに教えてくれなかったので、正直助かる。サキトが目を輝かせると、「行きしなに話すな」と、のんびりと歩きながらアイジが語りだした。どうやら三年E組の教室は、ここからやや遠い別棟らしい。
「このルーンガーデンシティは第一地区から第四十九地区まで区分けされてて、それぞれ地区名がついてる……ってのは、流石に知ってるよな? ここは”月光”だし、俺が住んでる第三十一地区は”ゆずり葉”。サキトんちは?」
「ええと……三十七、かな。”メメント”だったと思う」
「おお……結構やべーとこ住んでんな。四十番台以降には近づくなよ」
ほとんどスラムだからな。治安がわりいんだよ。そう言って、アイジは軽々と階段を登っていく。「基本的には、数字がちっちゃいほど偉くて金持ち、って覚えてりゃいいから」と続けるのを、後を追いながら聞く。
「ざっくり分けると、一桁台が富裕層とか政府機構、高層ビル群ばっかりのハイソ地域。で十番台はこことかの文教地区で、二十番台は繁華街、三十番台は住宅街」
「ふうん……」
「ま、出身地区を鼻にかけてるやつも多いけどさ。そういうやつは相手にしなくていーから。変なのが寄ってきたら、俺かレスター先生に言いな!」
「レスター先生って、どんな先生?」
ふと気になってサキトが尋ねると、「いい先生だよ。ああ見えて、怒るとめっちゃ怖いけど!」と、口からピンクの縞々のキャンディを取り出してアイジが笑った。その笑顔は、彼がレスター教師を信頼していることが伺えるものだった。なので、サキトもレスター先生はいい先生、と心にメモした。
「さて、教室についたぜ。いいか、キャーキャー騒がれても逃げ出すなよ?」
にぃっ、と楽しげに笑うアイジの顔を見て、すでに逃げ出したくなっているとは言えない、内気なサキトだった。
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