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 絹のローブを纏い、ビロード張りの豪奢な長椅子に寝そべり、極上の葡萄酒で唇を湿らせながら、女は身につけた宝石を検分していた。大粒の紅玉の指輪、黄金に緑柱石を嵌め込んだ首飾り、精緻な透かし模様の王冠。装飾品(アクセサリー)ってあっちじゃ捌きにくいのよね、とぼやきながら。  その冷めた表情は、かつての姿と重なる。半年前、高三の教室の窓際、頬杖をついていた横顔に。  同年で、同郷で、同僚。百五十センチの小柄で黒髪をポニーテイルにしているその外見はさながら半妖精(ハーフエルフ)で、『勇者』などという呼称よりもよほど似合っているのだが。 「で、見つかった? 加持(かじ)(まこと)は」 「・・・・・・その話をしに来たんじゃない」  俺は逡巡しつつも切り出した。身長百七十八センチ、体重七十キロ越えの元柔道部の主将たる自分が、内心、恐々、窺うように。  女はこの異世界(ワルドエンド)の〝一なる姫巫女〟から祝福(・・)なる無尽蔵の力を授かった正真正銘の勇者だった。体技、剣技、魔術、どれをとっても敵わない。  そして俺――(かじ) (しん)は、先の加持(かじ)(まこと)なる人物と誤って召喚され、たまたま顔見知りで丈夫で便利という理由で従者に選ばれた只人だった。  女は湯浴みを済ませたばかりで、良い香りを立ち昇らせ、ローブの下からは桜色の素肌がのぞく。小柄だが、十九歳という年齢相応に出るところは出ている。  胸元の奥の危うい渓谷から視線を逸らしつつ、 「あの領主が魔王の手先というのは噂に過ぎなかった。子どもらが学んでいたのも邪教などではなく、たんなる読み書きだ。家の手伝いを怠けるのを危惧した親たちが流したデマだったんだろう。それをお前は――」  矢を射て、刃を振るい、最後には屋敷に火を放った。領主は命乞いの暇すらなく首を刎ねられた。正統なる勇者の手によって。  今日の夕方までに起きた捕り物であり、女はすでにその残滓を洗い流していたが、過ちは(ただ)さねばならない。だが。  知ってる、と女は取り繕うわけでもなく言い放った。 「だったら、どうして、」 「領主の咎は強制性交罪よ。子どもに手を出していた。お礼というか、合意の元だと主張してたけど」 「罪を裁くのはお前の役目じゃない、それを勝手に、」 「領主代行の派遣については中央と話をつけてある」  蠅を追い払うように鬱陶し気な一言で、俺はようやくことのあらましを理解する。  白い肌に映える宝石の数々。燃え上がった炎。手回しの速さ――中央の誰かの依頼により邪魔な領主を排除、代わりに略奪を黙認させたのだ。そして従者には略奪の片棒を担がせたわけだ。  お前は、と怒鳴りそうになるのを寸でのところで抑え込む。  俺たちがいるのは女を勇者に選んだ姫巫女の私邸の一室だった。今、姫巫女はこちら(・・・)にはいない。だが、邸内には使用人が大勢いる。その気になれば女は指ならし一つで俺を叩き出せるはずだった。そも、逆らえばあちら(・・・)に戻れない。俺を喚び出した召喚士も女の麾下だから。戻れないとバイトに遅れる。フリーターから無職へレベルが下がるのは大いに困る――  それより加持の行方は、と女は逆に俺を問い詰める。  俺はバイトと従者の合間を縫い、『加持真』なる人物を捜していた。曰く、導かれし仲間だとか、異世界の花婿なんとか、そして伝説へ、なんとか。もちろん嘘っぱちだ。  怒鳴りは押さえ込めたが、それなりに頭にきていたらしい。とっておきのカードを切ってしまう。 「加持真は、お前の実の叔父だろう。異世界(こちら)に身内を揃えて帝国でも興そうっていうのか」 「・・・・・・ユウナから聞いたのね」  あの子はあんたに懐いているから、そう呟いて女は猫のように目を細めた。  ユウナとは、女の四つ年下の義妹だった。  女の家庭環境は少しばかり複雑だ。元々、実父とは死別しており母親と二人暮らしだったが、母親は娘のいる男やもめと再婚、その後に弟が産まれて今では五人家族となる。そして女の新しい妹は異世界の〝一なる姫巫女(主要人物)〟だった。  だがユウナは今、異世界(こちら)にはいない。腎臓病を患っており、長逗留できないのだ(そもそも治療のために、あちらに送られたのだと聞く)。ゆえに義妹は千年ぶりに復活した魔王から異世界(ワルドエンド)を守るべく義姉を勇者に選定したのだった。  ユウナには数度会ったが、心根が優しく他人を疑うことを知らない娘だ。いわんや姉をや。  従者となって三月。勇者の冷酷無残、乱暴狼藉、傲岸不遜ぶりは骨身に染みていた。反する外面の良さも。 「梶君には、復讐したい相手っていない?」  唐突に女は、話題と呼称を変えてきた。小首を傾げ、上目遣い、男をふるいつかせるその仕草。高校時代の『石動(いするぎ)いずな』そのままに。つまらなそうに教室の窓の外を眺める横顔と、男を引き連れた時の媚びた笑顔。その二面性もやはり昔と同じく。  そんな奴はいないと首を横に振るのを制すように、いずなは続ける。最初からテストの解答を知っていたかのように。 「例えば、西柳高の元柔道部主将とそのカノジョとか」  否応なしに一年前の暗い記憶を引きずり出される。  夏の県大会前、俺は友人らによる壮行会で気を失い、気付けば半裸の女とカラオケボックスの一室にいた。当時ライバルであった西柳高の主将のカノジョによく似た女は俺が目覚めると叫びながら部屋を飛び出した。あれよあれよと俺は県大会欠場となり、インターハイ出場も叶わず、大学の推薦入学もご破算。すっかり無気力となり進路が決まらないまま高校卒業し、二月引きこもった後、近所の喫茶店で職を得た。そこで再会したのが、ウェイトレスのバイトをしていた元級友だった。 「お前にとっての復讐相手(それ)が、『加持真』だってのか」  女――いずなは答えぬまま、曖昧な微笑を浮かべる。  くだらない、そう吐き捨てようとした。過去にこだわって未来を犠牲にしようなんざ、と。  いずなが長椅子から立ち上がり、まろい肩からローブが滑り落ち、白い裸身が露わにされた。  それは初めて見る姿ではない。幾度も触れ、拭き、時には揉んだ。従者として命令されたがゆえ。今更、色仕掛けなんて――そこでようよう気付く。  そいつにされたのか、と。実の叔父に。  いずなの胸の谷間の下には痣がある。てん、てん、てん、と、五つの丸で花か星を象るような、見るも無惨な煙草の火傷跡が。 「母は働きに出てたから、アイツに私の面倒をみさせていた。放蕩者だけど母にとっては年の離れた可愛い弟よ。それを逆手に好き放題した」  吐き気が込み上げる。 「アイツには法も情も道理も通用しない。だったら力に訴えるしかないじゃない」  こちら(異世界)ならば、それが可能だ。言外に言う。肌を隠すでもなく歩み寄り、視線を逸らさず、瞳に暗い炎を宿らせて。   「私は家族平和(・・・・)のために力を使うだけ。そのついでに魔王を倒してやってもいい」  ――協力してくれるでしょう?  仲間にするのではなく、消し去るために。  アイツには放浪癖があるけど、必ず戻ってくる。生きている限り安心できない。去年ユウナと会った時、あの下衆野郎は舌なめずりしていた。  しなだれかかられ、ささやかれ、細い腕を絡みつかされる。ひそかに憧れていながら接点のなかった元級友に。  だが、御免被りたかった。復讐なぞ馬鹿げている、もう忘れたい、俺は憎んでなどいない、いや、むしろ―― 「そしたら黙っていてあげる」  俯き加減にジーパンのボタンを外しながらいずなは言う。 「本当は柔道を辞めたかった、試合に出たくなかった、感謝すらしていたんだって」    ――あんたって小心だもの。  顔を上げ、さらさら黒髪を揺らし、手は動かしながら、満面の笑みで。  絡みつく鎖。偶然でも誤りでもない、狙われていた。  俺は、勇者が自分を従者に選んだ思惑をようやく理解した。
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