Forget me or not

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Forget me or not

 ミサキさんが生まれてから、今でちょうど八十七万六千五百八十時間なのだそうだ。つまり、このままいくとあとわずか二十時間で、彼女は消えてしまうことになる。 「君もいい加減しつこいなぁ。あと二十時間ぽっちじゃ、どのみちどうにもならないだろう? さすがにそろそろ諦めなよ」  ミサキさん当人は呆れたような口調で、顔も上げずにしゃがみ込んで花壇をいじりながらそう言うが、私はまだ諦めることができない。 「どうにもならないなんてことはありません。拡張計画部には、ミサキさんがいなくなってから八万七千六百五十時間経った今でもまだ、ミサキさんの復帰を望む人が何人もいるんです」  その筆頭が私だ、とわざわざ言ったりはしない。 「全員の分を合わせれば、今からでも存続判定を出せますよ、きっと」  物理的な肉体をもって生まれてきたかつての人類と違い、電子データとして生まれ仮想世界で生きる私たち現生人類は老化しないし、生物的限界としての寿命もない。  しかしいくら拡張を続けているとはいえ、私達を存在させている計算リソースが有限である以上、無闇に人口を増やすわけにはいかない。  その一方で、人類をさらに進歩させるためには、世代交代はなくてはならないことが分かっている。  だから、現生人類にも定められた存在可能時間が与えられている。その期間は、八十七万六千六百時間。人類がまだ物理的な肉体をもっていた時代の寿命をもとに決められたその存在可能時間は、基本的人権として全ての現生人類に与えられるものだ。そして、この期間を終えたものは、この世界から消えることになる。  ただし、例外はある。  物理的肉体を持っていた頃の人類は、死んだ人間は忘れ去られた時に二度目の死を迎える、などと言っていたらしい。  今の私達の場合、ある意味それは単なる比喩表現ではない。  すぐに忘れ去られるような人間であれば、八十七万六千六百時間が経過した時点ですぐに消失するからだ。  といっても、単に覚えてもらっていれば消失を回避できるというわけではない。規定の時間経過後も存続するためには、他者に必要とされていることが必要なのだ。  大勢の人間に必要とされているほど存続できる可能性も高くなるし、あるいはたとえ少人数であっても、重要人物から必要とされていればやはり存続の可能性は高くなる。  例えばの話、皆を導くリーダー的な人物がいたとして、当人はもちろん、その心の支えとなっている人間が消失した場合もやはり大きな影響が出るからだろう。  これについては、この仮想世界を維持しているシステムが自律的に判定しているので人間には計り知れない部分もあるのだが、概ねそのように理解で間違いないとされている。  そして私が所属する拡張計画部には、この仮想世界全体から才覚ある人材が集められている。つまり所属する人間の重要度は総じて高く、この部署において複数の人間から必要とされているのであれば、その者が規定の時間を超えて存続できる可能性は高い。  それにも関わらず、今から八万七千六百五十時間前、ミサキさんは突然、私達のもとから姿を消したのだ。   
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