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ミサキさんがいなくなった時の私の狼狽えようは、目も当てられないものだっただろう。私にとって彼女は単なる仕事仲間以上の存在だったし、それは向こうにとっても同じだと、そう思っていたのだ。
私は手を尽くして探し回ったが、ミサキさんは拡張計画部の中でも随一と言われたその頭脳を駆使して自らの居所を隠蔽したらしく、なかなか見つけることができなかった。
そうして、ようやく見つけられたのが、つい百時間ほど前のことだ。それ以来、私は何度もここへ足を運んでは、拡張計画部に戻るよう彼女の説得を試みている。しかしこちらの焦燥などどこ吹く風といった様子で、ミサキさんはいつも花の世話などにかまけていた。
「この花さ」
唐突に、ミサキさんは顔を上げた。
「なんて名前か、知ってる?」
その指が指し示す先にあったのは、青い小さな花だった。
「知るわけないでしょう。そんなことより――」
私は話題を逸らされたことに少し苛立ちながら話を戻そうとしたが、ミサキさんは私の言葉を途中で遮った。
「この花はね、forget-me-notっていうんだ。ちなみに花言葉は『私を忘れないで』」
聞いた瞬間に、嫌な感じを受けた。
『私を忘れないで』?
その言葉の前には、『私はいなくなるけれど』とつけることができる。花言葉にかこつけて、ミサキさんは暗にそう伝えようとしているのだろうか。
「ずいぶんとまあ花自体の名前そのまんまな花言葉だよね。一説によると、地球が生物の住めない星になって全ての動植物を仮想世界に移すことになった時、うっかり忘れられそうになったのが語源だとか。物理人類の資料は多くが散逸してしまったから、はっきりとは言えないんだけどさ。ところで――」
ミサキさんは立ち上がると、私の顔を正面からまじまじと見た。この場所で彼女と再会して以来、そんな風に見つめられたことはなかったので、思わず目を逸らしてしまう。
「ところで……なんですか?」
「forget-me-notって、なんでnotが一番最後なんだろうね?」
私は脱力する。ミサキさんが随分と真顔だったので、てっきり本題に入ってくれるのかと期待していたのだが、どうやらそうではないようだった。
「……なんでそんなことが気になるんですか?」
自分の消失が迫っているこんな時に、というニュアンスを暗に付け加える。
「いやぁ、だってさ、『私を忘れないで』って、Do not forget meでもYou must not forget meでも何でも良いけど、とにかくnotがforgetより先にくるものじゃん。それなのに、なんでこの花の名前だと、最後なのかなと思って」
「昔はそういう文法だったんじゃないですか?」
私は、そんなことはどうだって良いという態度を表に出しながら、適当な思いつきを述べる。
そんな私の返事を聞いていたのかいなかったのか、ミサキさんはこう続けた。
「私はね、迷ってたからじゃないかと思うんだよ」
「何をです?」
「なんて伝えるべきかを」
ミサキさんはまたしゃがみ込むと、青い花弁をちょんと指先でつついた。つられるように、私もその場に腰を下ろす。
「残された人間の方からしてみたらさ、いなくなった人間のことなんて、さっさと忘れてしまった方が幸せだと思わない? 妻であれ夫であれ恋人であれ、いなくなってしまったのならいつまでも引きずったりせず、忘れて次の誰かと幸福な時間を過ごした方が良い」
「それは……」
それはつまり、私にもそうしろと言っているのだろうか? いなくなるミサキさんのことなど忘れて、さっさと次を探せと?
「嫌ですよ、そんなの。機械じゃないんですから、そこまで合理的にはなれません」
ミサキさんは苦笑する。
「何言ってるんだい。物理人類の時代ならともかく、今の私らは機械の一部みたいなもんじゃないか」
確かに現生人類は機械による演算から生じる情報的存在で、だからその点に関してはミサキさんの言うことは間違っていない。しかし人類が情報的存在に変換された時、持っていた感情も全て再現されていて、だから私達を単なる機械の一部と呼ぶのは少し違うだろう。
それに、機械か機械でないかがこの問題の本質というわけではない。
「どっちにしろ、大事な人のことをあっさり忘れるなんて嫌だという私の気持ちに変わりはないですよ」
たとえ、そちらの方が自分にとって幸せなのだとしても。
「だったらさ」
先輩はどこか不敵な笑みを浮かべて、こちらを見る。
「相手には、どうして欲しい?」
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