博愛のマリア

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タクミは、1枚のハガキを手にして、そこに写っている幸せそうな2人の写真に見入っていた。 「この男が、マリアのこころを縛り付けることが出来たのは、何故なんだ。」 そうつぶやいて、すると急に部屋の空気が濁っているような気がして、窓を開けた。 夜のひんやりとした空気が、ゆっくりとカーテンも揺らさずに、部屋の空気と入れ替わっていく。 遠い夜の向こうにいる、この男だけを見つめているマリアが、タクミには想像が出来なかった。 ケンジにも、このハガキは届いているのだろうか。 今日、バイトから帰ったら、マリアの結婚の報告のハガキが届いていたのだ。 マリアとは、高校時代の同級生の栗栖マリアのことだ。 当時、タクミは、マリアと付き合っていた。 ただ付き合ってはいたが、それは、普通の高校生の付き合っていたというものとは、ちょっと違っていたのである。 マリアは、タクミと付き合うと同時に、タクミの親友のケンジとも付き合っていたのだ。 いや、カズオとも付き合っていたし、或いは、まだ3、4人は、付き合っているやつがいたのかもしれない。 考えてみれば、奇妙な恋愛だった。 マリアは、同時に誰とでも付き合える女の子だったのだ。 誰とでも平等に。 考えてみると、自分は、本当にマリア様だと思いこんでいたのかもしれない。 マリアという名前に縛られていたのだろうか。 狂っていると言われても平気だった。 そんなことより、マリアにとって、平等ということが、もっとも優先される価値観だったのだ。 あれは、高3の時だった。 タクミは、その時を思い出していた。 (回想シーン) 教室の前の廊下を、マリアが歩いていた。 タクミは今しかないと思った。 マリアの周りにも、タクミの周りにも、誰もいなかったからだ。 「マリア、あのさ、びっくりするかもしれないけれど、言いたいことがあるんだ。」 「何?急に。」 「うん。前からさ、マリアの事が、なんていうか、うん、好きなんだ。良かったら、あ、もし良かったらだよ。僕と付き合ってくれないかな。」 そう言ったタクミの指先は冷たく震えて、体中の血液が消滅してしまったんじゃないかと言うぐらい緊張して気を失いそうになっていた。 タクミの告白を聞いたマリアは、突然のことで、一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、顔を紅潮させて恥ずかしそうに、「うん、いいよ。」と、弱々しい声で答えた。 目は、少しうるんでいるように見える。 それを聞いたタクミは、もう腰が抜けそうになったが、本当に、マリアと付き合えるんだという喜びを隠すことは出来ずに、「やったー。」と大声をあげてしまった。 遠くの方で、クラスの女の子が、びっくりしてタクミを不思議な顔で見ている。 でも、むしろタクミは、今の喜びを、みんなに見て欲しい気持ちで胸がいっぱいだった。 幸せとは、こういう事だったのかと、初めて知った気がした。 それから、タクミとマリアは、休みの日には、映画を見に行ったり、喫茶店でお茶を飲んだり、普通の高校生の恋愛を楽しんでいた。 そして、5回目のデートの時だ。 タクミは、どうしてもマリアの手を握りたくなっていた。 タクミにとっては、初めての彼女で、ただ、話をしているだけでも楽しいのだけれど、やっぱりマリアに触れたい。 出来ることなら、抱きしめたいし、キスだってしてみたい。 でも、タクミには、あることが気になって、マリアの手を握ることを躊躇っていたのだ。 子供のころから、緊張すると手に汗が、半端なく流れ出る体質だったのだ。 或るときなんて、デパートの紙の袋の取っ手が、汗で溶けてしまったことがある。 その時、もう人と握手することはやめようと心に決めた。 でも、やっぱりマリアの手を握りたい。 映画館に向かう途中で、歩いているマリアの手をタクミが、そっと握った。 マリアは、「うわあ。」と言って、タクミを見た。 たぶん、タクミの汗をびっしょりかいた手に握られて、驚いたのだろう。 でも、すぐに笑顔に戻って、タクミを悪戯っぽく見た。 タクミは、マリアが自分の手にびっしょりとかいた汗を、どう思っているのか気になったが、映画館に着く10分間、マリアの手を離すことはなかった。 タクミは、初めて握る女の子の手というものに、始めは緊張していたが、やがてその感触を味わうかのように、神経を手に集中させていた。 ああ、こんなにも女の子の手というものは、柔らかいものだったのか。 親指の腹で、マリアの親指を、軽く押しながら撫でてみる。 柔らかい肉の奥にある骨を感じる。 その骨の白さを想像ながら、親指の先から手首の付け根辺りまで撫でるというより、骨の存在を確かめる。 この指の肉の柔らかさは、この骨があってこその柔らかさだ。 タクミは、自分の指先に感じる快感に囚われながらも、そんなことを考えていた。 自然と、手の握り方が、所謂、恋人つなぎになる。 指と指が絡み合う。 今まで経験したことのない快感に酔っていた。 でも、しばらくして、タクミは、恋人つなぎを解いて、マリアの指先を握り締めた。 そして、今度は、人差し指から小指に掛けて、その骨の在りかを探すように、指先でマリアの指を撫でた。 どうやら、タクミは、マリアの指の魅力に取りつかれたようだった。 すると、マリアは、「あっ。」と、小さく声を漏らした。 タクミは、ドキリとした。 ひょっとして、マリアも、エロチックな快感を感じていたのだろうか。 そう思うと、タクミは、もうマリアの手を、一生離したくないと思った。 そんなことがあって、タクミとマリアは、デートの時は、いつでも手を握っているのが普通になっていた。 しあわせな日常。 しかし、そんな幸せな日々も、3週間も持たなかった。 ある時、いつものように、タクミは、親友のケンジと喫茶店に寄った。 そして、親友だから、ケンジにだけは伝えておかなきゃいけないと思って切り出した。 「あのさ。僕、今、マリアと付き合ってるんだ。」 そう言ったら、ケンジは、ビックリして、タクミを見た。 そして、しばらくタクミの顔を見ていたが、ゆっくり確認するように話し出した。 「いや、それ本当なのか。本当にマリアと付き合っているのか。」 「うん。3週間前かな。うち開けたら、オッケー貰えたんだ。それで、それから何度かデートしているんだ。」 それを聞いて、ケンジは、何か自分の頭の中で整理をしようとしているのか、天井を見上げて、口を尖らせている。 「おい。どうしたんだ。ひょっとして、ケンジもマリアの事が好きだったとか。」タクミが堪らず聞いた。 すると、ゆっくりと頷いて、こう言った。 「ああ、俺もマリアが好きだ。」 タクミは、打ち明けて良かったと思った。 ケンジがマリアの事が好きなら、付き合ってることを隠しておくわけにはいかない。 「ごめん。そうだったんだ。でも、僕もマリアが好きだったから、先に告白しちゃったんだね。なんか悪いな。」 タクミの正直な気持ちだった。 「いや、そんなことより、もう、頭がこんがらがっているんだ。どういうことなんだ。実はなタクミ、俺も今、マリアと付き合ってるんだ。」 それを聞いて、タクミは、意味が理解できないでいた。 「ケンジも、マリアと付き合ってる?そんなバカな。だって、僕は一昨日もマリアとデートしたんだよ。」 「ホントに、デートしたのか。それって、マリアも付き合ってる気持ちは同じなのか?」 ケンジが不審そうに聞いた。 「ああ、したよ。一緒に手を繋いで、買い物もしたよ。マリアも愛しているって言ってくれてるよ。」 それを聞くと、ケンジは、ガックリと肩を落としたが、でも、腑に落ちない様子で言った。 「だけど、俺も付き合ってるんだよな。昨日も、マリアと喫茶店に行って、帰りにはハグもして別れたんだよな。」 「ハグ、、、。ケンジ、お前、ハグもしたのか。」 「ああ、いつも別れる時は、ハグして別れるよ。なんだ、お前付き合ってると言ってるけれど、ハグ、まだしてないのか。」 ケンジがマリアとハグをしていると聞いて、タクミは居ても立っても居られない気持ちになった。 ケンジとマリアがハグ。 その光景を想像したら、無性にマリアに真実を追求したくなってきた。 「ケンジ、僕、マリアと話をしてくる。一体、僕とケンジと、どっちを愛しているのか確認しなきゃ、もう、気が狂いそうだよ。」 そう、言い残して、僕はマリアの家に走っていた。 ケンジは、茫然として、その場に立ちすくんでいたようだ。 マリアの家の前で、携帯に電話をして、近くの公園に呼び出した。 「マリア、、、。僕たち、付き合ってるよね。本当に付き合ってるよね。」 「うん。付き合ってるよ。それがどうしたの?」 マリアは、屈託なく笑顔で答えた。 「僕のこと、愛してくれてるんだよね。」 「うん、愛しているよ。大好きだよ。それがどうしたの?今日のタクミ、何か変だよ。」 「そうか、それなら良かったんだけど。実はさ、さっきまでケンジと一緒だったんだけど、変な事言い出すんだ。ケンジも、マリアと付き合ってるって。おかしいだろ。」 それをマリアは、きょとんとした顔で聞いていたが、また屈託なく言い放った。 「うん、ケンジとも付き合ってるよ。」 タクミは、それを聞いて、気を失いそうになった。 「ちょっと待って、、、、いや、おかしいだろ。僕と付き合ってるよね。でも、ケンジとも付き合ってるの?それおかしいでしょ。」 「どうして?」 「いや、どうしてって、僕の事愛してるんだよね。だったら、ケンジとは付き合わないでしょ。普通。まさか、ケンジも愛してるなんて言わないよね。」 「えっ、ケンジのことも愛してるよ。」 「、、、、ケンジのことも、愛している。って、そんな。」 もう、タクミは、どうなっているのか、理解できないでいた。 月の光にブランコが、風も無いのに揺れている。 その揺れるブランコの影が、妙にハッキリと砂地に焼き付いて見える。 僕は、どうしてしまったのか。 今起きているのは、現実なのだろうか。 「だって、タクミのことも好きだし、ケンジの事も好きなんだよ。だから、ふたりとも付き合ってるの。」 「でも、僕は、マリアの事を愛しているんだよ。ホントのホントに、心の底からさ、マリアの事を愛してる。それなのに、ケンジと付き合うなんて、僕に対して悪いと思わないの。」 「どうして悪いのよ。愛してる人が2人いたらいけないの?あたし、分からない。」 「分からないって。」 タクミは、知らず知らずのうちに、泣いていた。 ただ、静かに涙だけが、流れていた。 それを見て、マリアは、そっとタクミを抱きしめた。 タクミは、一瞬、ドキリとした。 ああ、これがハグなのか。 初めてのハグに、今までの怒りに似た感情が、解けていく。 アリアの身体が、今、僕の身体と、完全に接している。 服の上からでも、マリアの胸のふくらみが、僕の胸に感じる。 息が止まりそうな状況だけれども、それでも、マリアの髪からの匂いを必死でかいでいた。 ジャスミンのシャンプーに、ミルクのようなマリアの体臭が、タクミを興奮させた。 タクミは、そっとマリアの背中に両手を回して、そっと抱きしめ返す。 そして、マリアの髪に、顔をうずめた。 ああ、いつまでも、こうして抱きしめていたい。 マリアの顔を見ると、タクミを屈託なく見つめている。 どうして、こんなにも屈託なく笑顔になれるのだろうか。 興奮のあまり、タクミは、マリアの唇にキスをしようとした。 「あ、キスはダメ。」 急に拒否されて、タクミは戸惑った。 「まだ、誰にもキスはさせてないの。ケンジにもキスはダメって言ったわ。だから、タクミにだけキスしたら、不平等でしょ。」 「、、、不平等って。そんなの関係ないじゃん。」 「あたしは、みんな平等じゃなきゃ嫌なの。」 「恋愛に、平等もなにも、そんなの関係ないよ。」 タクミは、焦っていた。 それと同時に、マリアの平等という言葉の意味を探していた。 「タクミ。あのさ。あたしの名前って、マリアっていうでしょ。それでね、子供のころからおばあちゃんに言われてたの。あなたは、マリア様みたいに、みんなを愛する人になりなさいって。ねえ、博愛って知ってる?マリア様はね、みんなを平等に愛してくれるの。だから、あんなに貴くて美しいんだって。あたしは、マリア様になりたいの。ううん。あたしは、マリア様なの。」 マリアは、目を輝かせて、真剣にタクミに言った。 怖いという感情が、愛の後ろに隠れている。 マリアの目の奥に、狂気を見たのである。 「ねえ、タクミ。あたしの事、マリア様だと思う?」 「う、うん。そうだね。そうかもしれないね、、、、。いや、でも、、、いや、何でもない。」 タクミは、真剣なマリアに、自分の感じたことを言う事が出来なかった。 「でしょ。あたしは、ここだけの話だけど、マリア様の生まれ変わりなんだ。ほんとだよ。」 「う、うん。そうなんだ。」 「おばあちゃんが、そう言ってたもん。マリアは、マリア様の生まれ変わりだよって。大好きなおばあちゃんだもん。ウソつく訳ないもんね。でしょ。おばあちゃんに会いたいな。きっと天国で、あたしがマリア様になるの待ってるよ、きっと。」 「おばあちゃんが、そう言ったから、信じてるんだ、、、。そうなんだ。」 「そうだよ。みんなを愛して、みんなから愛されて。それで、みんなを救ってあげるの。でも、マリア様って、キリストを生まなきゃいけないでしょ。それが問題なのよね。処女のまま出産するんだよ。そんなの出来るのかなあ。」 「いや、それって、伝説だしさ、、、。」 マリアは、イキイキとした表情で、喋っている。 「マリア、聞いて欲しい。人を愛するって言うのは、こう胸が締め付けられるような、苦しいって言うか、、、もう、その人しか見えないって言うか、、、、。」 タクミが、話をするが、マリアは、じっとタクミの目を見て、微笑んでいるだけだ。 タクミは、あまりの衝撃に、それ以上のことは言えなくなって、マリアと別れた。 「平等に愛してるなんて、そんなの出来るわけない。」 とぼとぼと歩いて帰る目の前を、野良猫が走って横切った。 「どうしたらいいんだ。」 野良猫に、力無く呟いたら、覚めた目でタクミを見返した。 そんなことがあって、次の日から、2、3日は、ケンジともマリアとも、何か気まずい雰囲気で学校に通った。 僕と、マリアの愛の温度差が、ここまで大きいとは思わなかった。 これなら、片想いと同じじゃないか。 いや、いっそのことフラれた方が、気が楽というものだ。 ケンジがマリアと付き合っているって聞いたときは、マリアの取り合いになるかと思ったが、そんなレベルの話じゃなくなっている。 マリアの恋愛観を受け入れることができるかどうかだ。 いや、受け入れられない。 よし、マリアとは、別れよう。 と思ったが、マリアとハグした時の、マリアの胸のふくらみの感触が忘れられない。 もう一度でいいから、マリアとハグしたいという気持ちが、別れようという気持ちを消し去ってしまう。 しかし、マリアとは別れるほかないのだ。 だって、この状態じゃ、いつまでたっても、マリアと同じ温度で愛し合えないじゃないか。 それは、残酷だ。 そう決心して、タクミはケンジと会った。 「ケンジ、僕、マリアと別れるよ。」 それを聞いて、しばらくケンジは黙っていた。 そしてようやく口を開く。 「俺も、マリアと話したよ。みんなと同じように、俺を愛してくれてるんだって。みんな平等にだって。」 「平等だろ。僕も言われたよ。そんなの付き合ってるって言えないよ。そんなの、耐えられない。みんな平等に付き合うなんて、そんなの無理だ。」 「うん。俺も、最初は、そう思った。でも、もう諦めたよ。うん、諦めた。俺一人だけマリアに愛してもらうなんて、そんなの夢だったんだ。」 「諦めたって、ケンジ、それで大丈夫なのか。」 「ああ、大丈夫じゃないかもしれない。たぶん、大丈夫じゃないだろう。でもさ、別れなかったら、ずっとマリアと付き合っていられるんだよ。マリアとデートして、マリアと手を繋いで、マリアとハグできる。それだけで、満足しなきゃいけないのかなって思うんだ。いや、俺にとったらさ、マリアと付き合えることが、単純に嬉しいんだ。そのためには、他の男の事は、我慢しなきゃ。そうだ、マリアはさ、俺とお前の他に、隣のクラスのカズオとも付き合ってるよ。それ以外にも、どうも2人か、3人と付き合ってる。」 「えっ、カズオも?っていうか、2、3人他にいるの?それって、異常だよ。おかしいよ。」 「ああ、俺もそう思う。でも、考えてみたらさ、誰か特定の人を、自分だけのものにしようっていうのは、それは欲だろ。それって、愛とは反対のものだろ。ひょっとしたらさ、マリアのように、誰でも愛することが出来るっていうのが、本当の愛かもしれないなって思うんだよ。愛と言うものから、欲を取り去ってしまって、そこに残るのが、本当の愛なんじゃないだろうか。マリアの愛は、きっと、その本当の愛なんだよ。そんな気がする。俺、変かな。」 「ああ、変だよ。おかしいよ。」 「はは、そうだよな。おかしいよな。でも、いいんだ。そうだ、そろそろ俺行かなくちゃ。これからマリアとデートなんだ。マリアと、手を繋いで、お茶してさ、別れる時はハグだよ。他の男の事を考えないでいたら、それは幸せな時間なんだよ。マリアに会えるだけで幸せなんだよ。会えるだけでいい。じゃ、俺、行くわ。」 ケンジの後姿は、魂の抜けた藁人形のように見えた。 ふと、校舎の横を見ると、マリアがいる。 そこへ、1年生の男の子が近づいて行って、「マ、マリアさん。好きです。付き合ってください。」そう言って、手を差し出した。 マリアは、屈託ない笑顔を浮かべて、「うん、いいよ。だって、あたしマリア様なんだもん。」と、1年生の手を握った。 1年生は、満面の笑みで、マリアさんと話をしだした。 おそらく、デートの約束でもしたか。 「そんなことをしている時間はないだろう。早く、ケンジとの待ち合わせの場所に行ってやれよ。」 タクミは、そう心の中で呟いた。 そして、ケンジの藁人形のような姿を思い出して、哀れを感じた。 その後のケンジは? もちろん、マリアと別れることになったさ。 みんなを愛してるって言うのは、愛してもらっていないのと同じだ。 愛してもらってない人と付き合うのは、孤独な作業に違いない。 人は、孤独では生きていられないのである。 (そして、今) タクミは、マリアからのハガキを見ながら思っていた。 今でも、マリアは、自分の事をマリア様だと思いこんでいるのだろうか。 タクミは、マリア様の像を見ても、手を合わせることもしなくなった。 誰でも平等に愛してくれるマリア様は、結局、誰一人も救ってくれはしないのである。 そんなマリア様に、手を合わせるなんて、ナンセンスだ。 もしマリア様のいる時代にタイムスリッ出来たなら、一人の男に狂い、もだえ苦しむほどの恋をしなさいと教えてあげたいものだ。 そんなマリア様なら、たとえ救われなくても、大きな声で、マリア様に愛を告白できそうだ。 もしも、マリアが、今でも、自分の事をマリア様だと思いこんでいるのなら、誰もマリアは愛していないだろうし、マリアを愛する人は、誰もが、孤独を感じているだろう。 そう思うと、マリアが哀れだ。 タクミには、マリアが、誰もいない荒野に、ただ一人で立っている姿が見えた。 強い風が吹いて、砂ぼこりが、マリアの髪に纏わりついて、ドロドロになっても、ただ誰もいない空間に向けて微笑んでいる。 ハガキの隣の男性もまた、平等に愛されているのだろうか。 それとも、マリアの心を独占することが出来たのだろうか。 いや、それは無理だろうな。 この男性もまた、孤独を感じている哀れなひとりに違いない。 タクミは、ハガキを、机の引き出しにしまった。
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