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Takasi Kirishima 本店前 桐島 美咲の場合
「はぁはぁ」
桐島 美咲はハイヒールをカッカッと鳴らしながら走り続けていた。
大通り沿いの デザイナーの夫桐島 隆の本店前で立ち止まった。
「あっ」
行き交う人の目線にやっと気づいて、慌てて顔半分が隠れるほどのサングラスをかけた。
彼らは、カリスマ主婦でモデル、デザイナーの妻、SNSインフルエンサーの美咲と認識して見ていたわけではない。
ボディラインが強調される 真っ赤なノースリーブミニワンピース姿の美咲に
見とれているだけの男性がほとんどで、女性たちはケバい女がバカみたいに走ってる程度の見識しかない。
「バレてないわよね」
承認欲求の鬼、美咲は普段サングラスなどかけないが、今は萌を探したい一心で、めんどくさいことに関わる時間を避けるためやむ終えない。そう、思い込んでいた。
「いらっしゃいませ」
スラリとした女性店員の挨拶など無視をして、ツカツカ店内へ入る美咲。
十数人客はいるが萌はいない。すぐ螺旋階段を駆け上がってみたが、中二階
にも居ない。
「何かお探しでしょうか」
男性店員が声をかけてきたが、美咲は答えるわけもなく中二階から入り口を眺めていた。
「まだ来てないの、帰ったってことはないわよね。まさか」
美咲はスーツのディスプレイを整えている男性店員に近づいて
「サロンに入りたいんだけど」
威圧的な口調で話しかけた。
3階はワンフロア VIP顧客専用サロンになっている。
「はい、かしこまりました」
インカムで顧客来店情報確認していた男性店員だが、事前確認できていないのは当然だ。
「恐れ入りますが、メンバーズカードお預かり宜しいでしょうか」
「ちょっと、あなた、私のことわからないの」
イライラしている美咲は店員へ怒りをぶつけた。
「申し訳ございません」
男性店員は深々と頭を下げている。
「私はね……」
美咲がサングラスを取ろうとした時、スマホが鳴った。黒いパーティ用の小ぶりなバッグからスマホを取り出す
「砂月さんだわ、はい、美咲です」
男性店員へ威圧的な対応から180度変わって、2オクターブ高い声を出した。
「美咲ちゃん、今どこ、もう着くのかしら」
砂月は美咲が所属している事務所社長だ。
「はい、後15分で着きます」
「そう、あのね、これはまだオフレコなんだけど、新年号からの表紙。美咲ちゃんに決まりそうよ」
「えっ、ほんとですか」
美咲は思わず口元を手で覆って小声になっていた。
「京都特集の美咲ちゃん大好評で増刷したでしょ。美咲ちゃんの時代が来るわよ。だから今日のパーティーは大事よ」
「わかりました気合い入れて行きます」
美咲はスマホを見ながらニヤリと笑った。読者モデルから表紙モデル。
やっと私の夢が叶うんだわ。
「絶対に誰にも邪魔させないわ」
美咲は呪文のように何度も呟きながら階段を降りていた。
「あのぉ、お客様サロンへご案内は……」
男性店員の声は届いていない。美咲の頭の中は表紙モデルのことでいっぱいになっていた。サロンのことなど忘れてしまっているようだった。
「ありがとうございました」
女性店員の透き通る声が響き渡る店内から美咲は出た。
「今、今は、早く行かなきゃ」
大通りの植栽の影からタクシーに手を挙げた。
「あっあの人、きゃー」
「まじで、すごーい」
美咲の後ろで女の子達が騒ぎ出していた。今までの美咲なら無視をしてタクシーにすぐ乗っただろう。
「これからは好感度も大切よね」
表紙モデルになれる高揚感が心に余裕を生んだのだろう。ファンサービスへ舵を切った。
頰をキリッと上げて、見られる緊張感モデル顔でサングラスを外した。
颯爽と美しい笑顔で振り返ってみたが、誰もいない。
「えっ?」
キャーキャー女の子達の歓声、男性の歓声も聞こえる。声の先は
Takasi Kirishima本店前は何重か人だかりができていた。
美咲はサングラスをかけ直して人だかりに向かった。
「お客さーん、乗らないの?」
タクシーはバンとドアの閉まる音を残して走り去った。
人だかりの隙間から見えたのは
「……隆」
店の警備員に守られているのは桐島 隆だった。
「確かに車の中で買い物に付き合うとは言ってたけど、萌は断ってたわ。それなのに、なぜ。私の同級生だから。いや違う。モデル仲間のクミがご主人への誕生日プレゼントを買いに来てくれた時、彼は上の階の事務所にいた。それなのに店に顔も出してくれなかった。その時私も一緒にいたから、挨拶に来てって言ったのに。あの人来なかった。なのに、なぜ、パニックになるのわかってて無防備に店に来るの。萌のために、なぜ」
美咲は群衆の波に漂いながら、自問自答を繰り返していた。
本店前では男性店員が説明をしている。入場制限を始めたようだ。
店内に入るために整列をお願いしている。美咲は列から離れて、タクシーを待っていた所までぼんやりたどり着いた。
「萌より私の方が良いでしょ」
ケヤキに寄っ掛かりながらポツリつ呟いたと同時に何かを思い出した。
「ハッハッ」
段々と呼吸が乱れてきた。両手で頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
そして、全身が震え出した。
中学時代同じことを言った。その時は一人で呟いたのではない。
あの人に言った。
高瀬涼太だ。
「大丈夫ですか」
薄れている意識の中で、優しい声が聞こえてきた。
「うるさいわね、萌、あなたのせいよ、あなたが悪いのよ」
美咲は立ち上がって声の方へ大声をあげた。行き交う人が美咲を見ている。
目の前には見知らぬ女性が驚いた表情で立ち尽くしていた。
「……萌じゃない」
冷静さを取り戻した美咲は
「大丈夫です、なんともないです。ごめんなさい」
小さな声で呟きながら、歩道の人混みを縫うように早歩きでその場を離れた。
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