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「気安く名前で呼ばないでよ」
目の前の達也を睨みつけて立ち止まる美咲。
文句を言おうとしている達也の横を素早くすり抜けて、社員証をピッとかざして美咲は早足で外に出た。
「待てよ」
追いかけて来た達也は美咲に並んで一緒に歩き出した。
「希美に俺たちのこと言っただろ」
「俺たちのこと?やめてよ。言うわけないでしょ。っていうかそんな過去私にとっては汚点だから」
「相変わらずだな」
達也は苦笑いした。
達也は32歳。国立大学卒。精悍なルックスと仕事もできる。海外事業部のホープとして一目置かれている存在だった。
美咲は受付の中で群を抜く美貌で入社当時から羨望の的であった。
達也と美咲は自然に惹かれあって半年間付き合った。社内で知るものはいない。社内恋愛は慎重を期しないと後で面倒なことになる。
利己的な二人はお互いの秘密は守っていた。
だが、美咲の上昇志向な性格が災いして、達也でも美咲の心は満たされなかった。
「結婚するんだって。おめでとう」
歩きながら美咲は早口で言った。
「ああ……」
赤信号で立ち止まって美咲は始めて達也の方を見た。
「なに、その中途半端な返事」
達也は黙っていた。
「ちょっと効き過ぎたかな。うふふ」
美咲はいたずらっぽい顔で達也を見上げた。
「希美ちゃんが聞いてくるから、答えただけよ。達也が鳩が好きだって。御前の元鳩ショップの話とかね。あと、ニューヨークに行きたいのは鳩が好きだからでしょ。ってこと」
「だろうな。希美から電話4回。出てないけどな。鳩が好きなの知らなかった。美咲さんと付き合ってたの。とか怒涛のライン攻撃」
「あはは。仕事中にコソコソやってたわね」
「笑い事じゃないだろ。わざと希美に言ったんだろ。俺が鳩好きな事知らないとわかって」
ブーンブーン。コートのポケットからスマホを取り出す達也。
「希美ちゃんでしょ。出なさいよ」
「いや、いい」
「免疫つけてあげたのよ。達也モテるでしょ。こんなことぐらい気にしてちゃダメよって。後輩思いでしょ」
「どこがだよ。こっちは仕事にならないよ」
「説明すればいいじゃない」
「……こんなに嫉妬深いとはな」
美咲は達也のスマホを取り上げた。
「おいっ」
栗田さんとは何もないよ。ただの同僚だ。誤解だよ
鳩が好きなこと言ってなかったのは
希美に嫌われたくなかったからだよ。
ごめん。
希美を愛してる。
「送信っと」
「おいっ。勝手に」
「簡単なことよ、これでいいの。はい」
美咲は達也にスマホを返した。
達也はため息をついてスマホをコートのポケットに入れた。
「あーあ。赤信号何回待てばいいのよ。体冷えてきた」
美咲は達也に寄りかかってきた。達也は美咲の華奢な肩を抱き寄せた。
信号は青になった。だが、二人は歩き出さなかった。美咲から達也にキスをした。粉雪がちらつく薄暗い歩道で二人は抱き合っていた。
また信号は赤になった。
「美咲……俺は」
強く美咲を抱きしめている達也。コートのポケットからスマホのバイブが鳴り続けていたことを気にもしていなかった。
達也は美咲に未練があった。美咲はそのことを知っていた。
「ここまで、ダメよ。体温まったわ。ありがと」
美咲は達也の腕を振りほどいて、青信号になった交差点を走って行ってしまった。
達也が追いかけようとした時、後ろから腕を掴まれた。
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