自分について書いてみる

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********************************************** 富岡富美男 10月30日生まれ 38歳 A型 西三河在住 営業職(係長) 妻 由美(ユーミン) 38歳 長女 ひとみ(ひーちゃん・ひー)      中学2年生 次女 ふたば(ふーちゃん・ふー)      小学6年生 三女 みつ(みっちゃん・みー・チビッコ)  小学3年生 自分と妻は、大学で出会った。 自分は経済学部、妻は文学部と学部は違ったものの、語学のクラスが同じという微妙な縁が元で付き合うようになった。 出会ったのは、かれこれ20年前だというから驚きである。 東三河にある某大学が出会いの場だった。 妻は、クラスの中でも当初から目立っていた。 落語研究会所属の個性的な見た目の男子(顎がしゃくれていた)となぜだかいつもつるんでいた。 4月の最初の語学のクラスなのに、楽しそうに笑いあうその姿に、元々が知り合い同士なのか、それとも早速付き合っているのかと思ったものだ。 今時の言葉で言うなら、その頃の妻はリア充だった。 対する自分は、たいした知り合いもいない初めての語学のクラスに少しだけ緊張をしていたら、初めてのクラスで思わぬ知り合いを見つけた。 それは、中学高校時代に剣道の大会で何度か対戦したことのある相手だった。 「盛田君?」 「あれ? 冨岡君?」 中学時代から、もじゃもじゃの特長的なヘアースタイルだった盛田君を見間違うわけもなく、本人だと分かったうえで声をかけたけれども、盛田君が自分を覚えていてくれて少しだけホッとしたことを妻とセットで昨日のことのように思い出す。 2回生にあがった年の春には、盛田君と妻は同じゼミに入ったと小耳に挟んだ。 その頃には、自分と盛田君よりも妻と盛田君の方が親しい感じになっていた。 きっと、同じ文学部の同じ史学科で、さらに同じゼミだったからだろう。 ついでに言うと、落語研究会の男子も同じゼミ所属。 妻は落研の男子を 『教祖様』 と呼び、盛田君を 『モジャ君』 と呼んでいた。 初めてそれを知ったときは、なかなかの衝撃だったけれども、いつしか自分も彼らを 『教祖様』 『モジャ君』 と呼ぶようになってしまった。 自分は盛田君と並んで語学のクラスを受けていた関係で、多少妻とは面識があったものの、携帯番号を交換するような仲でもなく、そして、妻には教祖様でもモジャ君でもなく他校に彼氏がいるらしいことと、その彼氏とは数ヶ月付き合っただけで別れたらしいことを風の噂で聞いていた。 自分も、今時の言葉で言うならばリア充な毎日を過ごしていたけれども、それも2回生の夏頃に終わりを迎えた。 どうして妻の携帯番号を知ったかというと、教祖様経由で知ったと記憶している。 試験期間中に教祖様と妻が図書館で勉強しているから一緒に勉強しないかというお誘いのメールを教祖様と妻から同時に送りつけられたのだ。 知らない番号からメールが来たと思ったら、教祖様が妻に教えたということらしかった。 教祖様に言わせれば、お互いの番号を知らないなんて驚く程度に自分と妻は仲良くしているように見えたらしい。 アレコレあったが、妻と数年付き合って、結婚して今では3人の娘たちの父親、母親になっているということだ。 ********************************************** 妻には内緒でインターネットの投稿サイトで自分と家族のことを書いてみようと思って、家族が寝静まったのを確認して書いてみたけれど、なかなか難しい。 が、妻がこっそりと小説のようなモノを書いているのを知ってしまったし、それにかまけて自分への愛情が薄れていってしまっている気がするのだ。 敵(インターネット投稿サイト)を知らなければ、妻を攻略することはできないだろう。  
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