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「あれ、もしかして日暮さんですよね」
彼女が週末によく行くbarだった。
小柄な中年女性のマスターが一人で切り盛りする小さな店で、駅前の賑わいからも離れた住宅街の路地裏にある店なので、寄り付く客は限られてくる。彼女に限らず、この場所を利用する人間にとっては、心のどこかで隠れ家のように思え、他の飲食店以上の愛着が湧かざるを得ないだろう。ましてやそんな場所で知人と偶然に居合わせたとなると、お互いに秘密の場所を共有しているような感覚に陥り、距離感というのは必然的に縮まる。
既に俺は彼女と顔見知りになっていた分、彼女と突然居合わせることになったところで警戒もされず、こうやって向こうから話しかけくるのもこちらの想定の範疇だった。
「あれ、橋本様こんなところにいらっしゃるんですね」
あくまで、偶然に出会ったかのような、やや大げさ気味なくらいに驚いた表情を作る。
「ちょっと、お店じゃないんですから、様付けはやめてくださいよ」
橋本結愛は吹き出した。いつも目にするときとは違い、括っている髪をおろしているせいか、張り詰めた気の抜けたようないつもより柔らかな印象の表情になっていた。
「すみません。つい癖で」
恥ずかしそうに俯いてみせる。
「クリーニング屋さんでも真面目な方だなとは思っていたんですが、まさか普段もそんな感じだとは」
彼女は手元の鮮やかなカクテルをかき混ぜながらにやける。
「本当はギャップがあったほうがいいですよね、やっぱり」
「いやいいですよ。そのままの方が日暮さんぽくて安心します」
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