抱いて ちゃんと 抱いて 3

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抱いて ちゃんと 抱いて 3

タイミングが良いのか悪いのか、珀英が洗い物を終えて、緋音のいるリビングへと戻ってきた。 いやに上機嫌で、にこにこしている珀英と、不機嫌顔の緋音と目が合った。 オレなんかやらかしたっけ・・・? 珀英は緋音の変化に驚く。食事中のことを思い返しても特にこれと言った理由が思いつかない。 緋音が手にした珀英のスマホを掲(かか)げて、柳眉(りゅうび)を寄せて、瞳に不機嫌を色濃く浮かべてつっけんどんに言う。 男性にしては少し高めでハスキーな声が、ピリピリした緊張に包まれている。 「何、これ?」 「へ?何が?」 珀英にスマホの画面を見せたまま、画面を軽くタッチする。LINEの通知が表示されて、珀英は笑顔から一転真顔になってスマホを奪い返した。 このタイミングで、これはまずいって・・・! 珀英は背中を冷汗が伝っていくのを感じた。 緋音を直視できずに思わず俯(うつむ)く。 その態度が、更に緋音を苛つかせた。 珀英の胸ぐらを掴み、そのまま引き寄せた。白いシャツが皺になることも気にせず、緋音は力任せに引き寄せる。 「説明しろ」 「いや・・・その・・・」 「嘘つくなら二度とオレの前に現れるな」 「・・・元カノです。でも、今はもう結婚してますよ!」 緋音は思いっきり眉根を寄せたまま、珀英の蒼白になっている顔に、ぎりぎりまで近づく。 こんな状況だというのに、珀英は吐息が触れる距離に緋音の奇麗な顔があることに、ドキドキしていた。 キスしたい。抱きしめたい。 欲望が溢れてしまう。 「結婚してる元カノが、何でこんな時間にお前を呼び出すんだよ?」 「あーそれは・・・たぶん旦那さん仕事でいないのと、愚痴を聞いて欲しいからで・・・」 「そんなん元カレに言うか?!」 「夜中に呼べるのオレだけらしくて・・・今までも何回かあったんで」 「は?・・・今まで行ってたのか?」 「ええ・・・」 緋音は呆(あき)れ返って珀英の胸ぐらを離すと、ソファにぐったりと体を沈めた。 「・・・行くか?普通・・」 深い深い溜息をついた緋音を見て、珀英は正座をして慌てて言う。 「話しを聞いてただけですよ!何も・・・変なことしてないですよ!」 そんなこと言われても、信じられないのが人間。 そういうこと言う奴に限って、やってるのが人間。 緋音は柳眉を寄せたまま珀英を睨(にら)みつける。緋音の薄茶の宝石のような瞳に吸い込まれそうになる。怒っていても、いや怒っているからこそ、頬が上気して呼吸が荒くなって、どんどんいやらしくなっていく。 珀英は緋音の色香に惑わされて、狂いそうになるのを抑える。 ものすごく不機嫌になった緋音をなだめようと、珀英は必死で謝り続ける。 「本当に何もしてないです!緋音さん以外とはもうしてないです!」 「・・・」 「本当ですよ。付き合ってたのも、緋音さんとちゃんと付き合う前の話しですよ!」 「あ゛?」 珀英の言い訳を聞いてあげていた緋音が、更に怒りを募(つの)らせる。 二人がちゃんと付き合う事になってからはしてないってことは。 オレのこと好きだ好きだって、ストーカーみたいに追いかけて来てたあの時期も、オレ以外のやつ抱いてたってことだよな? ああーーーーーーーーーーーーそうっっっっっっっっ!!!!!! 緋音はにっこりと微笑んだ。紅い口唇が笑みの形を取ってはいるが、薄茶の大きな瞳は笑っていなかった。 珀英は許してくれたのかと、思わずつれられて微笑む。 「出てけ」 一転、冷たい視線を投げつけて、クズを見るような目で緋音が言い放つ。 珀英の笑みが凍りつく。 「オレを好きだって言いながら、女抱いてたんだろ。オレじゃなくてもいいってことだよな?」 「いや、その・・・」 「出てけよ!」 全身から血の気が引いていくのがわかる。頭は凍りついて何も考えられないのに、心は珀英を罵(ののし)って泣いて叫んで。 珀英がキスしたり、セックスしたり、一緒にいる時間を過ごした人が、自分以外にいることが嫌だった。 そういう人がいたことは、頭ではわかっていても、今でも繋がりがあることが、とにかく嫌だった。 過去の終わったことならいい。オレだって同じだから。でも現在進行形で会ったり、連絡取ってたり、それが嫌で嫌で仕方ない。 ただの嫉妬で独占欲だ。わかっていても、それでも。 嫌なものは嫌だった。 こんなにもショックを受けるとは、緋音も思っていなかった。 珀英の顔も見たくないし、声も聞きたくない。 「緋音さん、オレの話し聞いて・・・」 「触るな!」 緋音の肩に触れようとした珀英の手を、緋音は叩(はた)き落とした。 珀英は驚いた顔で緋音を見つめて、ふと・・・諦(あきら)めたように溜息をついた。 「・・・わかりました・・・今日は帰ります」 「・・・」 珀英は微動(びどう)だにしない緋音を、チラチラと見やりながら、名残(なごり)惜しそうに、淋しそうに出て行った。 いつもだったら珀英が帰った後は淋しさが切なさが残るのに。 今は少し安心している。これ以上ひどい事を言いたくないし、考えたくもない。 珀英がいなくなって安心するのは、初めてだった。けれども一抹(いちまつ)の苦さが、ポツンと漂っていた。 緋音は緊張が解けて、ソファに倒れ込んだ。腕で顔を覆って、目を瞑る。 何も知りたくない。何も考えたくない。何もいらない。 頭が真っ白になるって、本当だったんだな・・・。 そんなどうでもいい感想が、溜息とともに吐き出された。
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