残夜

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初めはただ触れるだけだった柔らかい感触。それから輪郭を確かめるように彼の舌が唇をなぞれば、自然と僕は唇を開いた。 あわいから彼の温度を全て纏ったかのような熱い舌が入り込んでくる。望んでいた温度を全て与えられるような心地好さに頭も身体もふわふわしてしまう。 歯列をなぞって、舌を吸われて溢れる唾液ごと飲み込まれて。それまで頭の中を渦巻いていた疑問や困惑まで一緒に吸い取られてしまうようだった。 つうっと口端から零れる唾液さえも舐め取られるとそれまで我慢していた身体が思わずぶるりと震えた。それを確認した彼の口角がまた三日月のように釣り上がるのをぼやける視界で捉えながら、言葉にならない声ごと飲み込まれてしまう。 「あっ、ふぁ…」 「ふっ、かぁわいい…」 何分何秒経ったのか。 一方的な咥内の愛撫に食われるんじゃないかという錯覚も覚えてきて、怖いのか気持ち良いのか最早分からなくなってただ必死に彼にしがみついていた。 するといつの間にか後頭部を固定していた手がゆっくりと背筋をなぞって、するするとズボンとシャツの間に入り込んでいく。 「あっ…ちょっ、と待って、そう」 「こわいの?だいじょうぶだよ」 「くすぐったい、から…!や、ひぁっ?」 「背中、相変わらず弱いんだなぁ…さく…」 思いも寄らなかった刺激に僕の身体はまた素直にビクビク反応してしまうけれどその度に彼が嬉しそうに吐息を漏らすのだ。 ずっとこんな風に触れられることを望んでいた。抱き締められることを望んでいた。 嬉しい…筈なのに見慣れない彼の笑顔が僕の胸をざわつかせる。息が熱くて触れられたところからじわじわと溶けていってしまいそうで、なのにもうさっきの刺激が欲しくて僕はぎゅうっと彼の服を握り締める。 「朔…さく…」 すると手の力を強める程にそうくんはこれ以上ない程に幸せそうに微笑んで、甘ったるい声音でまた僕の名前を囁いた。 知らない。 こんな彼は、知らない…筈なのに。 どうしてこんなにも…。 「…蒼、泣いてるの?」 ふと僕を映す真紅が揺らいで、そこから透明な滴が流れ落ちるのが見えた。 そうっと手を伸ばして白い頬を濡らすそれを掬い取ると彼は少し驚いたように瞬きをして、またすぐにあの蕩けるような笑顔を見せる。 「あぁ、嬉しいんだ…。きっと、どうしようもなく」 「そうく、んぅっ?!」 ちゅっと僕の手の平に口付けた彼はそのまま唇を手首、腕へと移し、また僕の唇を言葉ごと塞いでしまう。 口付けの合間、譫言のように僕の名を呟きながら彼はまたその頬を透明な滴で濡らしていった。その一滴が口内に流れ落ちてきたせいか、少ししょっぱくなった唾液。 両方のそれが混ざり合ったものを舌で飲むように促されて僕はごくりと喉を上下し、彼もまた口端から伝う唾液を舐め取っては混ざり合ったそれを飲み込んだ。 まるで何かの誓い儀式のように、僕らは幾度も互いの体液を交換し合う。 「ふふっ、馬鹿なのは変わんないねぇ。さく。ねぇ朔」 「ふ、ふぁ?」 「聞かせて。おれのこと、どう思ってるの」 唇が離されると、その間につうっと渡された唾液が細い糸の様になって溶けていった。 普段より特段低い声で耳元で囁かれる。 いつもの低いだけの声とは違ってその声は余りに甘過ぎて、問われているのに用意されている答えはたった一つしかないように思えた。僕の口からも、出てくる答えは一つだけ。 「…すき。だいすき」 「うん。うん」 息も絶え絶えに目の前の身体にしな垂れかかってそう言うと、緩く後頭部を撫でられる。 とくとくと少し速い鼓動をすぐ近くに感じながら、だんだんと抜けていく身体の力。 見越していたかのように膝裏と背中に腕を回され、足が床から離れる感覚がした。 ぼうっと開いた瞼の向こうにはうっそり微笑う僕の恋人と、さらさらと揺れる見た目よりも柔い真紅の髪。 それから奥に炎のような熱を宿した、僕だけを映す蕩けた瞳。 あの日と同じ、芯の通った強い瞳。 …あの日って、いつだ? 熱に浮かされた頭ではもう何も考えることは出来なくて、ただ触れたところから伝わる温もりに身を任せる。 抱き締められたのは今日が初めての筈だ。 なのに僕は、この温もりを、この熱を知っている…気がする。 ねぇ蒼くん。 僕はずっと前から、きみのことが。 「すき…」 「おれもすきだよ」 生まれる前から、ね。
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