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1・タイプライターと芋女
ここは都内某所の三大ターミナルのひとつの駅。
乗降客数世界第2位は伊達ではなく、1日に300万人を超える人々が行き交い、様々な大きさのビルの中に消えていく。
そんなうるさい街の雑踏からほんの少し離れた場所に自分はいる。
白線の内側に安っぽいイスとテーブル。その上にはタイプライターと、日本語と英語で書かれた「相談に乗ります」と「料金1000円」の小さな札がふたつ。やる内容といえば利用者の相談に乗って、私見をタイプライターに打ち出すだけのことをしている。
タイプライターのキーの配列はパソコンのキーボードよりも少なく、A~Zと0~9とシフトキー、あとは頻繁に使いそうな記号があるのみ。
打った内容は容赦なく英文。相談に来る日本人は読めないことが多い。そこで、カバンに忍ばせているノートパソコンで日本語訳を打ち込み、ファイルをアップロード。番号を書きつけて、近くのコンビニで印刷してもらう。英語の勉強にもなるし、一石二鳥だろう。多分ね。
どうして二度手間めいたことしているのか? 簡単な理由でただ、打ちたいから。それだけの理由である。自己満足の自己完結。誰にも迷惑をかけない金にもならない趣味。
ちなみに、和文のタイプライターなんてのもある。これが打つのもかったるいし、持ち運びなんてもってのほか。こんな小さなテーブルに乗り切れないし、ひとりで持って来れない。でもいいんだ。ただの趣味だから。
……ああ、暇だ。スマホをいじりながら、周囲を盗み見る。客がひとりも来ないこともあったりもする。慣れたもんだけど、さすがに閲覧するサイトもなくなってきた。
「あの!」
眼精疲労を覚え、強く目を閉じていたときだった。反射的にカッと目を開き、声の主を見た。
ライトグレーのスカートスーツに、少し大きめの白いバッグを肘にかけていた。芋臭い顔立ちで、薄化粧。パサッとしたと髪は、ロクに手入れされていないし、前髪が目にかかりそうだ。その上に今どき珍しい分厚い眼鏡をかけている。ダサい、ダサすぎる。例え就活生でも社会人ウン年目でもダメでしょ、これは。頬のばんそうこうも、左手の中指に巻かれた包帯もネガティブイメージしかない。
「相談に乗ってもらえませんか!?」
うるさい。が、暇潰しにはちょうどいいから、ひとつうなずいてやる。芋女に背を向け、ビルの壁に立てかけていた折り畳みのイスを開き、テーブルの前に設置する。手で座るように促す。ちなみに、喋れないわけじゃない。ただ、喋りたくないだけだ。
芋女が堰を切ったかのように話し出した。
どうやら上司とうまくいかないようだ。社会人のよくある話だ。自分は仕事ができるのだが、上司が認めてくれない。まあ、仕事ができてもこの見た目じゃあね……。いくら仕事をバリバリこなせて評価できても、人間性は評価できないかな。
「かつていっしょにシm……仕事をしていた同僚たちは、足を……辞めたか辞めさせられたんです。追い……退職勧告をすすめられて。私、趣味で絵を描くのが好きなんですが、今は全然描いてても楽しくないんです」
それで独立したいってか。見た目はともかく、相当なやり手なんだな。でも、確かに結構ブラックな職場だ。よく上司もその上司や社長から何も言われないな。パワハラが取り沙汰されている時代だっていうのに。
「あのー……話は以上です」
「少々お待ちください」の札を出して、タイプライターを叩き始める。
最近のパソコンのようなカシャカシャやパタパタなんて軽い音じゃない。ガシャガシャという重くうるさい音が絶えず鳴り続いている。キーを打ち込むたびにハンマーが反応して動き、セットした白紙に1語ずつ打ちつけられていく。このあふれんばかりの打ち込んでます感がたまらない。いや、押し込んでます感か。人や工事の音とかは嫌いだけど、この音だけは許せる存在だ。
あ、忘れていた。一旦打つのをやめて「誕生日はいつですか?」の札を掲げる。
「6月18日です!」
スマホで調べる。ああ、この花か。助言と誕生花を打ち込むのが流儀だ。
タイプが終わって紙を渡す。
「ホワイトホーリーホック?」
画像と花言葉が載ったサイトを見せてやる。
「へえ、和名が立葵(たちあおい)。意味は女性の野心、か……」
芋女が物思いに耽(ふけ)っている。その間に、ツラに英語なんか読めないって書いてあるから、ノーパソで訳文を作っておくか。
「私、がんばってみます!」
訳文をプリントアウトできるように、メモ紙に番号を書きつけて渡す。
芋女は大仰に頭を下げ、駅とは反対の方向へ去って行った。
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