0人が本棚に入れています
本棚に追加
現在深夜2時――
俺はコーヒーを飲み、襲い掛かる眠気と格闘しながら、その時をリビングで待っていた。砂糖多めに入れた不味いコーヒーにはもう慣れたが、人と別れる瞬間を目にするのは慣れなかった。その体験を俺自身が体験するなんて、この仕事をしている以上考えられなかった。
俺がコーヒーを飲み干し、新たにコーヒーを入れようとした時だった。ドアがノックされる小さな音が響いた。遂にその時が来たのかと、俺は高を括った。重くなる足取りで玄関へ行き、ドアの鍵を開ける。そこには俺の同僚が3人待ち構えていた。
「アヤカは眠ってるよ。急いでとりかかってくれ」
「いいの?」
「ああ、俺みたいな奴よりも、本当の家族の方がいいに決まってる」
「分かった」
そう無機質に返事をして、俺の同僚たちはそそくさとアヤカの部屋に向かった。その足取りはいつも軽い。信じられるものが明確であり、それを疑いなく信じられる人は強いし迷わない。
感情に踊らされてはならないFBI捜査官だからこそ、家族なんて作りたくなかった。犯罪者と最前線で戦う俺たちは大事なものを持ってはいけない。そう信じていない捜査官も大勢いるが、少なくとも俺はそう思わなかった。俺の家族は飛行機が突っ込んだビルの下敷きになったのだから。
「そのキーホルダーの花はストロベリーか?」
「ああ」
「花言葉はなんだっけ?」
「……日本では幸福な家庭という意味らしい。だが、アメリカでは意味が違う。花言葉は完全なる善という意味だ」
「よく知ってるな」
「お前らが来るまでちょっと調べていたんだよ。国によって花言葉が違うんだってさ」
アヤカが俺を本当の家族だと思ってこのキーホルダーを作ったのだろう。現にこの1年と半年の間、俺もアヤカに家族の愛情に似た何かを感じていた。もし、FBI捜査官だなんて正義の味方になってなければ、今頃両親にアヤカを紹介していただろうしもっと別の生き方があっただろう。
だが、本当の花言葉を知ったからには、俺には完全なる正義の味方になる義務がある。
これからアヤカは日本に帰り、本当の家族に再開するだろう。彼女の両親がカリフォルニアの病院に入院していたので、日本の実家に連絡がつかなかった。俺はその両親に会い、アヤカの引き渡しを決めた。
これでいいのだ。家族を不要とし完全なる正義の味方になる俺と異国で家族ごっこをしながらも本当の家族を求めて密かに枕を濡らす彼女。俺たちはいつか別れると確信していた。
「準備は終わりだ。行くぞ」
同僚たちは寝息を立てているアヤカを起こさないように2人がかりで担いでいた。その小動物のような寝顔に涙の跡はない。これから笑いあう顔に涙は必要ない。その涙を消すために俺たちはいるのだ。
[Goodbye,Ayaka. I was happy to live with you]「さようなら、アヤカ。俺はお前と過ごせて幸せだったよ」
その小さな背中に小さく言うと、その花のような体が少しだけ動いた気がした。いつか、完全なる正義の味方になって、世界が平和になったら、日本の苺でも食べに行こう。幸福な家庭を持っているはずの彼女と一緒に。
最初のコメントを投稿しよう!