サクラノエニシ

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その二 バッコで、サッコン、サクラノエニシ 「先生、私最初『桜の縁』を『サクラノエニシ』じゃなくて『さくらのふち』と読んでいました。なんでそんな名前を付けたんですか?先生が立ち上げられた同人誌なんでしょう」 キナコは高校生の頃、市の主催する「青春短編小説講座」でケンモチ先生の講座を受講していたことがある。 あの頃は、生活の心配もなく気楽で良かったなぁ、と思う。 そのご縁で、二年前から「サクラノエニシ」の同人見習いとして拾って貰えたのだが、こんなに書けなくては、いつ引導を渡されてここをオン出されるか分からない。 先生はこの「サクラノエニシ」ではケンモチ龍太郎というペンネームで時代小説を執筆しておられる。地方在住作家で、キナコにとってはあの「蝉しぐれ」等の名作で有名な藤沢周平のような立場にいる人なのだ。 キナコはあれからいく霜月、すでに三十路を越してしまったが小説でも未だにひとり立ちできず、アルバイトで市の埋蔵文化センターで発掘の仕事を手伝ったり、産休の小学校教諭の代替講師をしてなんとか生活を凌いでいる。 「しかし、キナコ君はエライ!よく『サクラのミドリ』読まなかったネェ」とケンモチ先生は変なところでキナコを褒めてくれる。 「桜の花の季節のように儚い人の世と人生、しかし毎年花は咲き、花は散り 生きながら死に、死にながら生まれる人とその縁を書く、という趣旨があるのだよ」先生の言う事はいつも深淵過ぎてキナコには半分も分からない。 「でも、ハセガワさんは、お茶碗の事ばかり書いていて、儚い男女のラブラブなんて話はぜーんぜん出てこないですよ・・・」 「茶碗にも、人が映り込み、縁というものがある。キナコ君は少し柳宗悦先生の『美の法門』など読んでみるといいねぇ」 「なんか、昔っぽい題の本ですね」まずキナコには縁のなさそうな題名だ。 漢字も多そうだし・・・・・・ 「茶碗は土で出来ている。鈴木大拙先生は『大地を通さねばならぬ。大地を通すとは大地と人間の感応道交の在るところを通すとの義である』と言っておられる。大地から送られる、巨大な野生の力、無尽蔵の生成と贈与が動的、生成的な仕方で切迫してくるという事なんだろうなぁ。ハセガワさんはその事を背景に茶碗について色々と述べているのだろう」 「フーン、よく分かんないけど。そう言えば土の中には虫とか動物の死骸とか入っていそうですね」 「まあ、そうだな人の死骸も混じっているだろうね」 「うわっ!チョー気持ち悪い!そんなんでご飯食べたり、お茶飲んだりしてるのかぁ」 「当たり前の事を気持ち悪いなんて言ってはいかん」先生はすました顔だ。 「でも、そう言えば家の近所にある万福寺には、巨大で真っ白な大仏様があって初代の、多分江戸時代かな?の住職が行き倒れになった人達のお骨をその大仏様に塗り込めて作ったと言われているんです。なんか怖っ!最近、そのお寺を五人兄弟の末っ子が継いでくれたんですって。なんでも、東京のアニメ製作会社でCG担当してたのに、お寺の存続のために、親御さんが無理やり引っ張って来たらしい。その新しい住職は御法事に真っ赤なアルファロメオで駆けつけたり、憂さ晴らしの為か片町のカラオケで、毎晩歌いまくっていると、近所の婆ちゃんも言ってました。般若心経なんか、エイトビートでやったりラップ調で唱えたりするんで、ジャニーズの何とか君に似てるって檀家の奥さん達にも人気があるんですよ」 「うーむ、無徳の輩が跋扈する昨今の霊的実情は如何ともし難いが、それならなおのこと、この『サクラノエニシ』の活動は一歩も後には引けんのだ」と先生は腕組みしながら深刻な顔をしている。 「ムトクノヤカラガバッコで、サッコン?」キナコには先生のお言葉が難し過ぎて「懐かしの洋画劇場」のテレビ画面のように字幕スーパーか、せめて単語帳でも付いていればいいのにと思ってしまう。 猫語の方がまだマスターしやすいのではと思っていたら、先生の霊的直感にキャッチされたのか「キナコくん、安易に流れてはいかん!君は寧ろ日本語をしっかり勉強しなさい」と言われてしまった。 キナコは前足を揃えて神妙な顔付きで「ニャゴ!」と返事する。
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