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その三 麗しのミヤビ姫
二年前初めて、ミヤビ姫を見た時、キナコは、自分がどうしてあんなに息が止まるようなショックを受けたのだろうと今でも不思議に思う。
きっとあの時すでに運命的な何かを感知していたのかも知れない。
あの日「サクラノエニシ」の打ち合わせ会に、彼女は少し遅れて入ってきた。
立て付けの悪い、戸をガタピシさせながら開けて入って来た時、このボロい研究室に突然、パステルカラーで七色に染め上げたファンタスティックな花園が出現したかと思われた。
市販の芳香剤など使わなくても、部屋の黴臭い空気まで一瞬にして芳しい花の香りに包まれたのだ。
ピンクハウスの淡いラベンダー色のワンピースを着てお揃いの花柄のハイヒールを履き(花柄のハイヒールというものをキナコはその時初めて見た)フワフワとカールした髪にはシルクで作った白いカメリアの花を付けていた。
キナコの眼は、ミヤビ姫のその麗しい容姿と、ものすごく目立つ服装にくぎ付けになってしまった。
年齢は四十代後半と聞いていたが、三十代にも見えるし、笑うと二十五歳くらいにも見えた。おまけにどういうつもりかミヤビ姫なんていう、少女マンガのヒロインみたいなペンネームなのだ。
キナコは中年過ぎても少女のような服装をする女性は苦手だったが、彼女にはキナコの頑なな偏見など受け付けないパワーと説得力があり、つまり一言で言えば類稀なる美人だった。
ミヤビ姫は郷土の歴史研究家であり、某地方局のテレビ番組「麗しき加賀の姫君達」にコメンテーターとして出演していて、加賀の歴史的人物に精通し、文化財の紹介なども得意としている才媛だった。
その華やかな美貌とキレの良いコメント力をかわれて最近では、曙テレビやフジヤマテレビなどのお笑い番組にもゲストとして呼ばれるほどだった。
「春風亭サンマ師匠に『今度一緒に、ご飯でも』と誘われたんだけど、あれはつまりナンパされたってことなのかしら?」と隣に座ったタケダさんに話しかけている。
「私、サンマ師匠、それ程好みじゃなくて、曙テレビの廊下ですれ違ったあの東出涼真君なら良かったんだけど・・・」などと贅沢な事を言っている。
キナコは聞こうとしなくても、どうしても話が耳に入ってくる。
恥を忍んで正直に言うと、涙と涎と鼻水がいっぺんに出るくらい羨ましかった。
三十路過ぎても、男子に縁がないのはこの小学生以来の黒豆的な容姿のせいか又は何らかの女性としての決定的な欠陥があるのか?と思ってみるがキナコ本人にはよく分からない。
更にミヤビ姫は、格調高い加賀の歴史エッセーを何冊も出版していて、今年は写真集などもハワイで撮影するらしいと、いつも華やかな話題満載の女性なのだ。つまり、彼女は俗っぽいキナコの本音が何としても手に入れたいと熱望している宝物を全て持っているばかりか、それらはキナコが、全身全霊を挙げて百歳になるまで粉骨砕身、奮闘努力しても、恐らくたった一つも手に入れることのできそうもないものばかりなのだ。
しかし、冷静になって良く考えて見るとそんな人は日本中に数え切れない程いるはずだ。美しく賢く、且つ素晴らしい本を世に出している女性が、百人いたとしたら多分百人とも、キナコを遥かに凌駕する人達だろう。
そんな特別の女性でなくても、そこら辺の平凡な人でも容姿、才能、懐具合などキナコより上等な女の人が大多数のはずだ。
そんなこと、理屈では百も承知なのにどうして、ミヤビ姫に限って、こんなにも狂おしく自分を煩悶させるのだろう。
それが二年前、「サクラノエニシ」の打ち合わせ会で彼女に出会って以来の、キナコ本人にも訳のわからない謎の苦悶なのだ。
あの頃のキナコの様子は他の同人達の間でも、噂になるほどだった。
まず服装の趣味が変わったというか、物凄く変になった。
いつも、バーゲンのTシャツにジーンズと毛玉のついたセーターぐらいしか持っていなかったのに何故か、歪んだ赤いハートが火の玉のようにあちこちに乱れ飛んだフレアースカートを履き、トゲのある黄色いバラ模様のブラウスなどを着て現れるようになったのだ。
「キナコ君、何か心境の変化ですかね?」
「三十路過ぎの初恋?」
「まあ、今の三十代は昔の十七歳くらいの感覚ですからねぇ」
みんなは様々に憶測するがケンモチ先生は「恋の病にしては、陰鬱だなあ、ピンクのオーラなんて一筋も出ていないし眉間のあたりには殺気まで漂っている。人間の強すぎる思いは、ある閾値を越えると、自分を壊し、周りまで巻き込むような破壊的なパワーを発揮するから危険なのだ」とオーラ占いのようなことを言いながらデスクトップを前に頰杖をついて考え事をしている。
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