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「同じ時期に、同じ場所にはいられない」
そういう定があるんだよ。
目の前に座る女神のようなお姉さんが、耳に髪をかけながらゆったりとした口調で告げる。
魔法のスティックのようなペンを紙に走らせ、ひとつひとつ確認しながら項目を埋めていく。
「あなたは、どこの世界に行きたいのかな」
「ひとつじゃなきゃダメですか?」
走らせていたペンを止め、少し上目遣いにわたしの目をチラリと確認し、小さく息を吐いてからペンを紙の上に寝かせた。
視線を紙に落としながら頬杖をつき、少し考えている姿を、まるでギリシャ神話の絵画を見ている気分になりながら眺めていると、雲でできたスイーツをシルバートレイに乗せてこちらに向かってくる小さな男の子の姿が目に入った。その後ろには、さらに小さい女の子が、空色の炭酸水入りのグラスをゴールドトレイに乗せて運んでくる。
「ご主人さまからです」
ふたりが可愛らしい声を揃えて、雲でできたスイーツと、空色の炭酸水をふたり分テーブルにセットする。
辿々しいけれど、テキパキと交互にテーブルの上に手を伸ばす姿を微笑ましい気持ちになりながら見ていると、「あぁやさしい世界に行きたいな」と思い、目の前に座るギリシャ神話の女神のようなお姉さんの顔を見た。でもお姉さんも、可愛らしいふたりの姿に夢中でこちらを見ていない。口元が優しい弓形になり、その視線は羽毛を連想させるほど純粋。
この人は、闇という世界を知っているのだろうか。空色の炭酸水の泡が、グラスの底から水面に登る姿を見ながら、なぜだか涙が出そうになる。
可愛らしいふたりがテーブルの上のセッティングを終えると、来た道を来たときと同じように戻って行く。女の子の腰に揺れるリボンに目を奪われながら、わたしならもっとふんわりとバルーンのようなリボンにしたいな。などと想像をする。
「さぁ、せっかくなのでいただきましょう。炭酸は抜けやすいから気をつけてね」
空色の炭酸水は、ソーダのような味がした。
雲でできたスイーツは、ふわっふわなレアチーズケーキのようだった。
今まで住んでいた世界にあった、似たものを照らし合わせながら味わう。そうしなければ飲み込めないこの状況に、定を思い出す。
「同じ時期に、同じ場所にはいられない。」
消えた記憶と、消された世界。残されているのは、ほんの少しの情報。味覚は、刺激があれば思い出すらしい。それと同時に、疼く思い。消えた記憶を知りたい。思い出したいのに、同じくらいの力でそれを拒否する。
「行きたい世界、見つかった?」
記憶が鬩ぎ合っている中、お姉さんが女神のような笑顔をわたしに向ける。
デザートをキレイに食べ終えたとき、空色の炭酸水の色が変わっていた。青空色から茜色に。フッと自分の炭酸水を見ると、青空色から紺色に変わっていて、炭酸の泡が煌く星に見えて、まるで星空。うっとりとしながら、さらにグラスに刺さるストローで泡を立てて星を増やす。
「ここを選んでもいいのよ」
意外な言葉が飛んできた。
「ここでもいいんですか?」
星空に瞬く星のような輝きをお姉さんの瞳の中に見つけ、引き込まれた。さっきまでは感じなかった引力。目が離せない。
「残りの記憶をすべて頂戴」
引き換え。
今までのすべてと、これからの記憶と引き換えに、お姉さんの世界がやさしく染み込んでくる。
けれど、それに抵抗する記憶の残り香。混ざり合う世界と記憶。押して引いてぶつかって、意識の中で火花が起きて目眩がする。
ねじ込まれる。ねじ込み返す。残り少ない記憶が薄れていき、新たな記憶が浮かび上がってくる。
お姉さんの瞳に引き込まれながら、お姉さんの瞳星の瞬きが滲む。
「忘れたくない...」
青い空も茜色の空も星空も、風の強さも雨の冷たさも体に纏わり付く湿気も、雪の白さも雷の恐怖も。
絞り出すように、かすれ声で訴える。
少しずつお姉さんの瞳がハッキリと見えて来て、視界もクリアになっていく。
相変わらず頭の中は雲がかっていて、浮かんでは消えて浮かんでは消える記憶のカケラを、必死に掴み取ろうと過去の雲海を泳ぐ。
お姉さんが、そっとわたしのおデコにはりつく前髪を整えながら腰を浮かし顔を近づけ、お姉さんのおデコをわたしのおデコにつけて、一緒に涙を流してくれた。
涙を流すたび、雲海が開ていき頭の中の視界もクリアになっていく。その先にキラキラ光るモノが見えるのだけれど、それが過去のものなのか未来のものなのか、もはやわからない。
お姉さんがおデコを離し、女神のような笑みを浮かべながら魔法のスティックのようなペンを紙の上で起こし、再び走らせる。
項目を埋めていくために、ひとつひとつ確認していく。
「あなたは、どこの世界に行きたいのかな」
女神のような笑みが神々しく輝いて、まるで後光がさしているみたいで、すでに契約が済んでいることを教えられているみたいだ。
「あなたの側がいいです」
心から。
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