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先週までは見ごろだった桜も今日、昼頃から降り出した雨でほとんど散ってしまい、無数の花びらが、川沿いのアスファルトをくすんだピンク色に染め上げていた。
四月も半ばだというのに、この時間になると肌寒く、菜々美はキャメルのトレンチコートをしっかりと体に巻き付けた。少し前までは土手沿いに植えられたソメイヨシノが電灯にあかあかと照らされていて、たいそう幻想的だった。
1時間ほど前まで行われていた会社の歓迎会の騒々しい余韻に浸りながら散った桜の上を歩いていると、なんともいえない空しさに菜々美は襲われた。
これから彼の家に帰るというのに。飲み会があった時には、だいたい一次会でおさらばして、大学時代から付き合っている彼の家に泊まるのが習慣である。どだい今日び二次会三次会にまで繰り出そうという人間もそう多くはない。
菜々美はいつもの交差点で立ち止まった。右に行けば自分の家、左に行けば彼の家である。両側にはアパートや戸建てが並ぶ住宅街であるが、菜々美はちょうど交差点の角に明るい店があるのを見つけた。
ガラス張りのウインドウの上には流れるような筆記体で La Floraと書かれていて、店の中にはいくつかの鉢植えとその奥の冷蔵ケースに置かれた色とりどりの切り花が見える。間違いなく、花屋だった。だが、菜々美の記憶ではそこは花屋では無かった。かといって、じゃあなんだったかと言われると、それもまた判然としない。
まさかたった一日で急に花屋ができることなどあるはずもないだろうし、毎日通る道で全く気付かないなどとは考えられない。第一、夜の22時を回ろうかという時間に花屋が開いているのも妙である。当然客は一人もいないようだ。菜々美はまるで蛍が光に吸い寄せられるようにフラフラと店内に入っていった。
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