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「あら、恥ずかしいわ」
彼女は気にする風でもなく、屈託無く笑った。
「この前、劇を見てね。素敵だったわ。唄が頭から離れなくて、つい口ずさんじゃうのよね」
思いの外気さくな雰囲気を感じて、私はやっと呼吸ができるような気がした。
「とても、お上手でした」
余裕が出てきたのか口元が緩み、感想が口に出た。彼女は困ったように笑いながら、「恥ずかしいわ」と繰り返した。少し嬉しそうにも見える。
「あの……私のことをご存知で……?」
疑問を投げかけてみる。入学してから一度も話したことがないのだ。彼女の目に私が映ったことなど無いものと思っていた。それなのに、彼女は私の名前を知っていた。こんなにも優しげに話しかけてくれる。
「ええ! お話をしてみたいとずっと思っていたのよ」
千代さんは溌剌と答えて、私に笑みを向けた。私はまだ緊張していて、彼女の発した言葉を理解するのに時間を要した。口の中でなぞるように、彼女の言葉を繰り返し、それでもピンとこずに首を傾げた。
「細くてすらりとしていて、話す声は鈴虫のように転がるでしょう? 守ってあげたくなる可愛さって、あなたのことを言うのだわ」
あの千代さんが私を褒めている。否定すると失礼だろうかと思い、なんと返答すべきか迷っていると、彼女は言葉を続けた。
「あなたのマガレイト、いつも素敵ね。私がやると、どうにもほどけてしまうのよ」
彼女はそう言うと襟足から自分の髪を指で梳いて見せた。さらさらと流れていく髪が、私には羨ましい。
「千代さんは髪がお綺麗ですもの。私、癖が強いのでとてもまとまらないんです」
素直に返答してしまい、気恥ずかしくて耳元のおくれ毛を耳にかける。しかしおくれ毛などなかったのか、指はするりと空を梳いた。
「似合っているわ」
彼女があまりにも自信満々に言うので、私は笑ってしまった。お母様に言われるのとも、いつも教室で親しくしている学友から言われるのとも違う。彼女から言われたのだということが嬉しく、胸が高鳴る気がした。
「この時分はダリアが綺麗ね」
彼女はくるりと向きを変え、再び唄を口ずさんだ。
私はそれが唄われる劇を見たことがなかったけれど、庭に咲くダリアの花を人差し指で突きながら、唄を口ずさむ彼女の姿は、まるで劇の一部のようで、私は目が離せなかった。
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