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遠野さんは束ねていた髪をきゅっと絞ってから、ゆっくりと髪をほどいていく。その手の動きと滴り落ちる雫をぼんやりと眺めていたら、遠野さんが小さなくしゃみをした。
「ごめん、借りちゃって。俺は大丈夫だから。ほら、風邪ひいちゃう」
俺は手に持っていたタオルを遠野さんの頭に被せた。水分を含んだ真っ黒な髪から、懐かしい匂いがした気がして、ついその髪を一束掬って鼻を寄せた。やっぱりいつか嗅いだことのある花の香りがした。
「俺たち、昔会ったことない?」
遠野さんは何度か瞬きをした後、ふふっと笑った。
「もしかして、わたし、口説かれてます?」
「いや、今のは……」
自分の言動を振り返ってみると、どこぞのナンパ師だよ、と突っ込まれてもおかしくなかった。そんなつもりはなかった。ただ、確かめたかっただけだった。サヨコの苗字はたしか『古月』で、別人だってことはわかっているのに。でも、さっきとは違う、作ったのではない自然な笑顔を見て、悪い癖が出てしまった。遠野さんに一歩近づいて、顔を少し近づける。
「口説いてもいいの? 遠野さん、俺みたいな男嫌いでしょ?」
遠野さんは唇の両端を引き上げて、俺をじっと見据えた。
「ええ、嫌いです。……でも、わたし、間違えてみたいの」
遠野さんは俺の手を握った。しっとりとしていて、冷たい手だった。
「じゃあ、雨宿りでもする?」
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