5/5

93人が本棚に入れています
本棚に追加
/98ページ
 それから俺はコンビニで黒い傘を一本買った。大人ふたりでもすっぽり覆うような大きな傘だった。それでも歩くと雨は俺たちを濡らして、足元から少しずつ体を冷やしていく。  そっと遠野さんの肩に手を回すと、彼女が震えているのに気がついた。彼女が何を考えているのかわからなかった。『間違えてみたい』とはどういうことなのか。真面目そうな遠野さんは、一夜限りの関係というものに憧れているとか? もしそうなら、俺ってうってつけだと思うんだけど。  遠野さんの横顔をそっと見た。長い睫毛、ツンと尖った鼻、柔らかそうな唇。そして、唇の左下の小さなほくろ。そしてさっきの髪の匂い。遠野さんにサヨコをどうしても重ねてしまう。サヨコに会いたい。 「……サヨコ」  遠野さんが俺の顔を不思議そうに見つめる。  気づけば彼女の頭を抱えて、唇を重ねていた。数センチ先で遠野さんの長い睫毛が震えている。彼女のガラス玉のような瞳に俺の泣きそうな顔が映り込んだ。 「ごめん。この傘使っていいから」  遠野さんの手には不釣り合いな大きな傘の()を握らせると、雨の中に足を踏み出した。水溜まりに足を突っ込んで、靴の中に水が流れ込んでくるのを感じる。じゅくじゅくと気持ち悪い感触を無視して走った。  ずぶ濡れのままコンビニに入ると、レジの男に舌打ちされた。安いビニール傘と缶コーヒーを購入して外に出ると、缶のプルタブを引き上げて中身を流し込む。 「あま……」  ブラックだと思って買ったそれは、『微糖』と書いてあった。微、じゃないな。喉に引っかかるような不自然な甘さに顔を(しか)めながら、一気に中身を空けた。
/98ページ

最初のコメントを投稿しよう!

93人が本棚に入れています
本棚に追加