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 どちらが先に誘ったのかはもう覚えていない。気づけばベッドで絡み合っていて、佐原は俺に名前を呼んでほしいと懇願した。自分からお願いしておいて、名前を呼んだら涙を流した。ぎゅっと閉じられた目蓋から零れ落ちるそれを舐めとってやると、佐原の舌が絡みついてくる。しょっぱい味のキスだった。 「忘れられない人でもいるんですか?」  佐原はきっと俺と同じなのだと思った。心を支配しているその人に名前を呼んでもらいたくて、愛してもらいたくて、でもそれができないから代替品を求めているのだと。 「そうね。叶わない恋をしているの。彼は私の気持ちなんて知らないし、知られてはいけない」  佐原の想い人は、大学時代の友人らしい。気持ちに気づいたときには手遅れで、佐原の親友とその彼は恋仲になっていたそうだ。今は結婚して子どもまでいるのだという。 「失恋を忘れるには、新しい恋ですよ」  それができないから困っているのだということは、自分で言っていてよくわかる。想いも伝えられていないから失恋にもなっていないのだろう。それは俺も同じだ。 「じゃあ新しい恋ができるまでは石崎くんが慰めてくれる?」 「いいですよ。あ、俺のこと好きになるのはなしですよ」 「絶対ないから安心して」  こうして俺たちの奇妙な関係は始まった。
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