マリーゴールドの棺

1/3
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「あなたはずっと私を守ってくれるのよね」  花と青臭い匂いに目を開ける。頭がぼうっとするし、微かに痛む。目を開けたところで、視界は真っ暗だった。  一分の隙も無く真っ暗だなんておかしい。  起き上がろうとして、何やら手でたくさんの植物を押しつぶそうとしてしまったということに気付く。植物をかき分け両手で探るが、すぐさま固い素材に貼られた、ビロードの感触に阻まれる。同時に足も動かしてみるが、足もほとんど動かせない。靴と壁のぶつかった、鈍い空洞音が狭い空間に響く。顔が硬いものに覆われているらしくて居心地が悪かった。仮面か何かだろうか。  たくさんの植物が敷き詰められた狭い箱。これではまるで棺そのものだ。そう思ったが私はそこまで取り乱さなかった。頭がぼうっとしているせいなのだろうか。妙に落ち着いて現状を観察できている気がした。  探る指が花びら特有の滑らかさに気付いた。細かい花びらのうねりがいくつも重なった、半円状の花。まっすぐで細いわりに硬さのある茎。先分かれした特徴的な葉の形は羽状複葉(うじょうふくよう)という。私は小さな葉のふちを慎重に指でなぞった。うまく働かない頭で形を思い描くのは難しい。しかし、鋸歯(きょし)と呼ばれるギザギザのふちをしているのがわかった。  この青臭さと特徴的なにおいにも心当たりがある。これは、マリーゴールドだ。私の思い出の中でひときわ輝かしい花。黄色とオレンジの群生を思い出す。 『ああ、愛しのマリー』  花と同じ名前を持つ愛しい人。群生の中を二人で駆けたのが懐かしい。幼い頃、私たちは友人だった。よく花冠を彼女の頭に乗せたものだった。それを彼女は持って帰って、ドアに吊るしてくれたものだった。私たちはとても親しかった。親しかったからこそ、私が彼女を異性として意識するのは遅かった。 ゆるく巻いたブルネットの、輝く美しさに私が気付いたころ。彼女はすでに私を避けるようになっていた。 『私の愛しいマリー。アンバーの瞳が美しいマリー。 君が私のことを悪く言いふらしていると知ったときの胸の痛みは忘れられそうにない』  思い出すと未だに胸が圧迫されそうになる。学校で他の女子からの視線が冷たいと感じるようになった後、同性の学友から殴られて知った。私は彼女にストーカー扱いされていたのだ。  結論から言えば、私は潔白である。彼女が言いふらしたように彼女の帰りをいちいち待ち伏せしたり、彼女の私物を持って帰ったり、彼女に山のような手紙を送ったりしたことは無い。誕生日に受け取りに困るような大きな花束を贈ったこともなければ安っちい指輪をプレゼントしたこともない。せいぜい彼女の20歳の誕生日に白薔薇のドライフラワーと上品なダイヤのネックレスを贈ったくらいだ。それも、彼女がダンスパーティーに行くためのネックレスが無いと困っているのを彼女自身から聞いたからだ。  どうせ盗聴器から聞いたんだろう! と言われたがそんな面倒なことをしなくたって私と彼女はどうせ家ぐるみの付き合いがある。聞くタイミングはいくらでもあったし、冗談めかして『買って』と言われたから冗談を本気で返してみただけの話だ。  そう、本気だ。私はいつだって、マリーのことを想っている。マリーと共にいられるならそれ以上に嬉しいことは無いと思っているのは紛れもない事実だ。だから、可能な限り最高のプレゼントを贈った。 『いろいろな夜会に付けていったと聞いたから、気に入ってくれていたとばかり思っていたんだがな』  私がストーカー扱いされた事件について、家族は一切知らない。私も彼女も、家の中では大人しく、仲良く、何も問題ないように行動していた。少なくとも私たちの両親は、『子供のころから仲がいいオスカーとマリー』という認識を崩していないだろう。私にとってもそれは心地のいい誤解だった。そして、理想的な世界観だった。マリーとずっと一緒にいることに何の問題もなく、いつしか結婚もできるのではないかと錯覚させてくれる家族たちだった。  私は目の前の空間をぐっと押してみた。しかしびくともしない。指でノックしてみたところでかなり重たい音であると気付く。私は大人の男ではあるが、力自慢というわけではない。これを開けるのは無理だろう。ずらそうとしたり、足で蹴ってみたりしたが、制限された動きではやはり無意味なようだ。  このままだと、私はどうなるのだろう。なぜここに閉じ込められたのかという経緯は全く覚えていない。何日閉じ込められていたのかもわからない。私の記憶は夜更け、急に彼女――マリーから電話で呼び出されたところで終わっている。呼び出されて……おそらく私はマリーの言う通りにその場所に向かったはずだ。それがどこだったかをイマイチ思い出すことができない。暗い場所だったのは覚えているのだが。  必死に取りこぼした記憶をたどろうとして、誰かが泣き叫んでいる声を聞いたことをうっすら思い出した。今と同じような真っ暗な中——ではない。そうだ、あの時は微かに光を感じた。おそらく棺の窓が開いていたのだろう。しかし私は目を開けることができなかった。そういえば周りに気を取られて、この顔を覆うものを調べていなかった。私は自分の顔に触れてみて、その硬い感触にこれが仮面であることを再確認した。ずいぶん精巧に作られている。唇のしわや鼻筋の骨の隆起まで――というところで愕然とする。  これは誰の顔だ? この仮面は、私の顔の作りとは明らかに違う。私は両手で顔を何度も撫でた。高くて太い鼻柱、太い眉毛。眼窩も、瞼も大きく感じた。頬骨も高い。人相を必死に心の中で描く。  心臓が氷水に漬けられたような感覚と共に、知人の顔が思い当った。 『ロジャー。マリーが恋に落ちた男。そして、私を恨んでいる男。これは、私のかぶっているこれは! 金にだらしない下衆野郎の顔ではないか!』
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!