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手を洗ってまっすぐ玄関に向かおうとした私を、半ば強引にトワ子さんは縁側に案内した。
大きなたらいと洗濯板が用意されている庭に出た彼女は「ほら」と皺だらけの細い腕を差し出す。
「ズボン。洗ってやるから。今日は晴れてるし、その薄手のズボンなら暫く干したら乾くだろうよ」
言われるがままにズボンを渡し、トワ子さんは慣れた手つきでじゃぶじゃぶと洗い始めた。
シャツの裾を引っ張って下着を隠すように座っていると、トワ子さんが縁側の隅を顎で指す。
くたくたの大人用のズボンが用意されている。足を通すと案の定かなり大きく、裾を半分以上捲し上げる不格好な姿で縁側に座る事になった。
「あんたがここに来てる事、親は知らないのか。まさか学校サボって来てるんじゃないのかい。この時間は学校のはずだろう」
ズボンのお尻の部分の茶色くなっていた汚れが、みるみる落ちていくのを見つめながら首を横に振った。
「今日は創立記念日なの。それに家の用事も済ませて来たから、お昼ご飯の準備まではやる事ないもん」
トワ子さんは「へぇ、そうかい」と、ズボンを裏、表と返して汚れが残っていないか確認をする。
「洗濯機は使わないの?それ、大変そう」
「人間てのは、一度楽を覚えちまったら戻れないんだよ。まだ動く手があるんだ。それに私は独りで時間もあるんだから、これで十分だよ。それより、あんたみたいなチビがご飯を作るのか?」
泡を流したズボンを絞って皺を伸ばし、物干し竿に掛ける。数日降り続いた雨がようやく上がった今日は、スッキリとした青空が広がっていた。
「私はあの家の本当の子じゃないし。弟と妹が立派な大人になれるように助けてあげてって言われてるの。もう治ったけど、あの人、この前ぎっくり腰とかいうのになっちゃって大変だったし、私も今月で十歳になったからもっと家事も頑張らなきゃいけないの」
「あの人って、母親のことか」
怪訝な顔をするトワ子さんに頷く。私は母を『お母さん』とは呼ばない。用がある時は「ねぇ」などと適当に呼びかけるだけだ。
トワ子さんは自分から聞いてきた事だというのに「へぇ」と言ったきり、その話題には触れなかった。
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