『ジ・アックス』と呼ばれた女

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『ジ・アックス』と呼ばれた女

「小島君! ネクタイ、曲がってるわよ」  総務課の主任、神田七海(ななみ)が部下である小島海斗(かいと)の首元を横から睨みつける。 「え? そ、そうっすか?」  一瞬裏返った声で、小島が慌ててネクタイの結び目を両手で直す。緊張して滲む手汗がライトブルーのネクタイを変色させそうで、恐々摘んで形を整える。 「す、すんません。さっきトイレに行った時に鏡で直してきたつもりだったんですけど……」   「まったく……もう少し緊張感を持ちなさいよ。分かってるでしょ? 私達が『誰』を迎えに、セントレア(中部国際空港)の国際線到着ゲートまで来ているのか!」  真綿で首を締めつけられるかのような緊張感に、神田も苛々が募る。  いつもは歩きやすさ重視でヒールのないスニーカーを履いて仕事をしているが、今日ばかりは『無礼のないように』と、高いヒールのパンプスだ。じっと立っていると踵の感覚がいつもと違って脹脛(ふくらはぎ)に響く。 国際線の到着ゲートからは次々と外国人たちが入ってきているが……。 ……何処だ? 何処にいる? 神田の表情に焦りが浮かぶ。  と、その時。 「……すいませーン。あのー、ここの空港で『キューティ・キャット』のブランドショップ、あると聞いたデスが。場所、知らないデスか?」  突如神田に話掛けてきたのは、日本語が『やや怪しい』欧米人風の小柄な若い女だった。歳の頃なら20歳そこそこだろうか。神田たち二人の醸し出す険悪な空気を読まずにニコニコしている。 「へ? あ、あの、きゅ、きゅーてぃきゃっと?」  不意を突かれたのか、小島がキョドる。 「何をテンパってのよ! まったく……。ああ、『キューティ・キャット』のお店ね。知っているわ。あなた、日本語がお上手ね」  自身の緊張を解こうとしたか、神田が優しく答える。 「ハーイ! 日本、15年ぶりデース!」  満面の、そして無邪気な微笑みを女が返す。 「そうなの、それは楽しみね。ええっと、『キューティ・キャット』のお店は第1ターミナルの4階にあるわ。ここは2階だから、2つ上よ。気をつけてね」 「ありがとうデース! ちょっと、行ってくるデス!」  ブンブンと可愛らしく手を振って怪しい日本語を振りまきながら、女は小走りで去っていった。 「ふぅ……ところで小島君、『それらしい人』はいた?」  神田が再び緊張の面持ちで辺りを見渡す。  到着ゲートからは次々と大きなスーツケースを抱えて外国人達がやってくる。だが『それらしい』という人間が見当たらない。 「いや……それが。こっちの特徴は『ビジネススーツ姿で、男女二人組』と伝えてあるんすけど、肝心の『相手』が。何しろ『日系アメリカ人女性』としか聞いていないんで……」  焦りの色を隠せない小島が、長身を更に伸ばして辺りを伺う。額にも汗が滲んでいた。 「まさか『見逃した』とかないわよね……」  何しろ『相手』は、業績が低迷する我が日本法人に本国から送り込まれた新任C E O(チーフエグゼクティブオフィサー)。それも会長の孫娘で、アメリカでは業績の悪い事業所に単身乗り込んでは次から次へと改革を断行したという『豪腕』という触れ込みなのだ。 「海の向こうでは『ジ・アックス(斧)』なんて呼ばれてた恐ろしい人なんだからね。それが初日から失態があったなんて話になったら、どうなる事やら……」  ……どうするか。ここにいて待ち続けるか。それとも動いて探しに出るか。  神田が唇を噛む。  確かに『301便』と聞いたはずなのだけど……。  どう周りを見ても、もう『それらしい欧米人女性』は残っていない。 「ど、どうしましょう? 本社に電話を掛けて、本人の携帯番号を聞きますか?」  おずおずと小島が提案をする。 「……そうね。それしかないかもね」  少し震える左手でスマホをポケットから取り出し、本社の総務課に電話を入れる。 「神田です。うん……見つからないの。それで、ゴメンだけど新任CEOの携帯番号を確認していたら教えて欲しいんだけど。そう……キャサリン・オーエンスCEOの!」  すると。 「あのぉ……」    汗ばむ神田の背中を、誰かがツンツンと突く。  ビックリして振り返ると、そこにはさっき『キューティ・キャットのショップを探している』と言っていた若い女が立っていた。 「あ、驚いた! さっきのコね? ゴメン。今、大事な電話をしてて……」  神田が苦笑いをしながらスマホを指差すと。   「いえ、あの、もしかして『キャサリン・"ケイト"・オーエンス』を探してるデスか? それなら、私デスけど」  女は困惑する神田を見上げ、ポカンとした表情で自分の左頬を指差して見せた。 「……へ?」 神田と小島が揃って『鳩が豆鉄砲を食らったような』顔のまま瞬間凍結する。  ストレートロングのブロンドヘアー。薄いピンクのワンピースが可愛らしい。 そのあっけらかんとした右腕には、買ったばかりの大きな猫のヌイグルミが大事そうに抱えられていた。
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