『ジ・アックス』と呼ばれた女

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 ピリピリと緊張感の高まる本社玄関先の車寄せ。そこに支社長以下、部長課長クラスがズラリと勢揃いで並んでいる。  数分前に神田から『もうすぐ会社に着きます』という電話が入り、動ける幹部クラスを出迎えに招集したのだ。 「あ……来ましたね」  総務の芦田部長が、額の汗を拭ったハンカチを慌ててポケットに仕舞い込む。普段はお得意様を接待するのに使っている白いワンボックスが、正門をくぐって構内に入ってくる姿が見える。 「気をつけた方がいいですよ……何しろ電話で聞いた神田君の声がド緊張してましたから。彼女がそんなにビクつくなんて、ちょっと覚えがないですので」 「うむ……と、とにかく失礼のないようにせんと……何と言ってもオーエンス会長が『間違いなく将来の後継候補』と明言する自慢の孫娘だからな……」  支社長の大田も、グ……っとネクタイを締め直す。今日のために新調した企業のイメージカラー『オーエンス・ブルー』のブランド品だ。  『会長の懐刀』  『斧と呼ばれる一刀両断の改革派』  『その性格の悪さは悪魔(デビル)に例えられる』  ……事前に本国から伝わってくる『噂話』は、どれも恐怖を煽るのに充分なイメージを抱かせる。  それも、好業績なところへ派遣される『腰掛け』ではない。アメリカ本社の期待を裏切り、業績低迷が続く空気圧縮機(コンプレッサー)メーカー『オーエンス・エアー・テクノロジー・ジャパン』への『テコ入れ』として乗り込んでくるのだ。何がどうなっても不思議ではあるまい。  ……最悪は、リストラの大鉈も覚悟せねばならんか。  日本名称こそ分かりやすく『支社長』としているが、正式にはCOOとして日本法人を統括する立場の大田もキリキリと胃が痛む思いだ。    やがて、ワンボックスが正面にゆっくりと停車する。  ガコン!と音をたて、後部座席の自動スライドドアが開いていく。そして、艷やかなブロンドの長髪をフワリとなびかせ、ワンピースの女が降りてくる。 「よ、ようこそ! オーエンス・エアー・テクノロジー・ジャパンへ……」  大田が近寄ろうとして、何かに驚き足を止めた。 「やー! やっと着いたデスねー! やっぱり、地球の反対側は遠いデス!」  大きく伸びをしながら降りてきたのは、ピンクの可愛らしいワンピースを着た小柄な若い女だった。しかもその右手には、大きな猫のヌイグルミまで抱えられているではないか。 「……え?」  幹部全員の顔が固まる。聞いていた話と『何か』が違う。どう見ても『恐ろしいCEO』ではなく、『唯のおバカな訪日観光客』にしか見えない。圧倒的なまでの『これじゃない』感!   これぞまさしく『YOUは何しに日本へ?』状態。 「え、あ、あの……」  芦田部長が声を掛けようとすると、車の助手席から神田が慌てて降りてきた。その顔は青ざめながら、ぎこちなく笑っている。 「あ、あの、新任の『キャサリン・オーエンスCEO』をお迎えに行ってきました……はは……」  神田に注がれる幹部たちの視線が、まるで鉄槍のようにグサグサと突き刺さる。  どの顔を見ても『誰と取り違えて来たんだ!』と言わんばかりだ。  ……そんな顔したって、仕方ないじゃん!  半分涙目になりながら、神田は無言の抗議に心の中で言い返す。  私だって『絶対に違う』と思ってたから、思わず「日本語お上手ね」とかタメ口叩いて車内で平謝りだったんだから! でも、こっそり確かめた携帯番号も一致したし、話も整合するし、間違いなく本人なのよぉぉ!……た、多分。  そんな周囲の凍りついた反応を他所に、女は無邪気で無防備で人懐っこい笑みを満面に浮かべて集まった幹部を見渡した。 「初めましテー! 私、キャサリン・"ケイト"・オーエンス、言うデス! 皆さん、『ケイトさん』って呼んでくださいデス!」
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