第十一話 透明人間

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夏休みが入ってから数日が経ち、日に日に暑さは増していた。エアコンが付いていないというのは大分不便で、図書館や図書室が空いてる日は成る可くそっちに行ってたりした。金井のルームメイトが即座に帰省したのも、これが理由なんじゃないかと思ってしまう。 学校が無い、授業が無いというのは、かなり暇で勉強もする事が尽きてしまいそうだった。何かやることが無いかと、所々擦り切れた参考書を捲ってみるが、何度も解いた問題で見るだけで答えが分かってしまうものばかりだった。本を読んで、適当に参考書か本を選んで、取り敢えず一冊買って、もしくは借りて家で解いて、読んだ。夜は幾分か暑さがマシで寮にいるのが少しばかり楽だった。そんな風にここ数日過ごしてきた訳だが、こうも典型的で味気の無い日々というのは退屈で、学校があってもそれは変わらないのかもしれないが、休みという言葉がより一層退屈に思えた。 まぁ、だから、祭りくらいはいいんじゃないかと、自分の中で柊との約束を呑み込んだ。人混みは嫌いだし、騒がしいのも嫌いだが、どうせ一ヶ月もある休みの一日なのだから、そんな日があっても良い。 そうして、自分の中で漸く噛み砕いて、納得させて俺は重い腰を上げた。 「勇〜、準備出来たー?」 「あぁ。」 随分ご機嫌な柊の隣に並ぶ。いつも笑っている柊だが、今日は特に嬉しそうで楽しそうだった。 「勇って、お祭り行ったことあるの?」 「……あった、かもしれない。」 「え、そうなの。」 「いや、無かったかもしれない。」 「…どっちなのそれ。」 幼い時のことはよく覚えていないのだから仕方ない。記憶には無いが、何となく夏祭りと聞いて、それを肌で感じたことがあるような感覚があり、これはいつの思い出なのだろうと思ってもどうしても思い出せない。 もう六時になるというのに日が伸びたせいでまだ空は青かった。 「きっと楽しいよ。」 柊がそう言って、隣でニコリと笑った。この屈託の無い笑顔は色んな事をどうでも良くさせる。 「柊が言うなら、そうなんだろうな。」 何となく記憶の断片が頭の中に横切った、気がした。 あぁ、まずい。 人混みの中で俺は佇む。浴衣を着た人も、私服の人も、誰も彼も知らない人ばかりだった。取り敢えず、見やすい場所に移動しようかと人気の無い方に足を向ける。明々と輝いている屋台からだんだん離れていけば、月明かりだけの薄暗い森の中に入っていく。砂利だった道に石畳が現れ、それの先へ進めば、石段が上へ上へと連なっていた。奥にあるのはどうやら小さい神社の様で、黒と赤の鳥居の頭が少しだけ見えた。 上に登れば、少しは何処にいるのか分かるだろうか、そんな事を考えて、俺は一段一段硬い灰色の階段を踏んでいく。森の中だからか、湿度が高く、もあっとした空気が肌に纏わりつく。階段は何気に長く少しずつ息が浅くなった。 「今晩は。」 漸く登りきったところで、そんな声が聞こえた。聞き覚えのある声にまさかと思って顔を上げた。 「…猪塚。」 俺がそう呼ぶと彼は目を細めて、こちらに少しだけ近付く。 「久しぶりだね。まさか、こんな所で会うなんて。」 笑顔のせいか、それともこの男の雰囲気がそうさせるのか、俺にはその台詞が態とらしく聞こえた。 「ちょっと、話さない?」 嫌な感じがした。最初に会った時、前に一度会った時と同じ危険信号が頭の中に鳴り響いていた。逃げろ、逃げろ。そうは言うが、体は何故か硬直していた。理由が分からない、それが悍ましい。 微かに鼻をかすめる青臭い匂いと共に、じめっとした生温い風が通り過ぎた。
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