第十一話 透明人間

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誰も居ない年季のある鳥居の下の石段に猪塚と二人で座っていた。空には灰色の雲が幾つか浮かんでおり、欠けた月が煌々と輝いている。星がよく見えた。 「柊君と来たの?」 「あぁ。」 「迷子?」 「あぁ。」 隣で猪塚がクスクスと笑った。何がそんなに面白いのか、理解出来ずに目を伏せる。すると、彼が隣でにやりとしたのが見えた。それが気味が悪くて、慌てて目を逸らす。見てはいけないものを見てしまった、そんな気がした。 「そういえばさ。」 彼は明るい声色で話し始める。以前はこんなに気にする事はなかったというのに、何故か今は猪塚の言動全てに嫌気が差している。 「なんで、柊君の事、下の名前で呼ばないの?」 俺は猪塚の方を振り返る。きっと目は見開いていた。そんなに敏感に反応する話題では無いはずなのに、何故、お前がその質問をするんだ、と驚愕を感じていた。 「幼馴染で、いつも一緒にいて、あんなに仲良しで、柊君は〝勇〟って呼んでるのにさ、何でかなって。」 言葉をつらつらと並べた後、猪塚は可愛らしく笑った。それは猪塚の意図したことで、そうして無知を装うとしているのだと、察する。 「響介」 彼は悪どい笑みを浮かべた。 「って呼べばいいのに。」 俺は彼を睨んだが、彼は余裕の中で笑っていた。それは俺を嘲笑する様であって、憐れむようでもあった。 幼い頃、と言っても小学五、六年生くらいの頃、夢を見ていた。それはよく一緒にいるようになった、柊の夢だった。しかし、それは姿形は柊であっても柊では無いと思った。俺は彼に〝響介〟と呼び掛ける。彼はこちらを見ずに、『なんだよ。』と無造作に反応する。それに怒気は含まれていなかった。それにとてつもない安心感を覚え、彼の後ろを俺はついて行った。それが柊では無い誰かを見た初めての夢だったと思う。 「お前、俺の後ばっか付いてくるよな。何かしたっけ。」 響介はそうして、俺の顔を覗き込んだ。彼は俺の名前をあまり呼ばなかった。乱暴な言葉遣いなのに、どこか穏やかで俺には優しく聞こえた。周りの人はひそひそ声で怖いやら、危ないやら言ってるが、俺には彼が一番優しい人間だと、そう感じていた。 「響介は優しいから。」 はぁ?と彼が素っ頓狂な声を出す。 「怒らないし、無駄に触れないし、家近いし。」 「いや、最後関係ないよね。てか、そんな人山ほどいるって。理由になってない。」 そう言って、背を向ける彼を俺はまた追い掛けた。響介は何も言わなかった。友人でも無いこの距離感がその時はとても心地良かった。 中学生ぐらいの俺は、人に虐めを受けていた。壁に背中を打ち付けられたり、ぶつかられたり、物を取られたり、それに何ら感情は無いと思った。 そういう場面で、響介が通った。しっかりと目が合った、その筈だった。しかし、彼は何とも思っていない様な表情で目を逸らし、何処かに言ってしまった。 友人でも無い、ただ家が近いだけ。そんな奴を助ける義理は無い。頭では分かっていた。しかし、俺は期待していたのだろう。彼が助けてくれる事を。 そんな夢を何度か見た後、今度は響介がずっと俺を見ずに謝り続けていた。周りには何も無い、虚空の空間で只一言、ごめん、と言ってその夢は終わる。呼び掛けても、こちらを向くことは無い。何度何度呼びかけようと、彼はこちらを見ない。 柊に手を引っ張られた時、その事が頭に浮かんだ。試しに〝響介〟と呼んだら、若しかしたら、彼が現れてくれるのではないか、そんな期待をした。しかし、結局、柊は柊で響介では無かった。
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