第十三話 波多野千翔

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「来てくれて、嬉しいよ。波多野千翔君。」 初めて会った時の長谷部はそれはそれは優しい笑みを浮かべており、水瀬が絆されてしまうのも仕方の無いと思った。しかし、猫を被っているのだと感じた。どうも、滲み出る雰囲気が今の様子と異なっている。 「普通に話してくれませんか。」 彼は驚いた様に一度目を見開いたが、直ぐにニヤリと口の端を釣り上げる。 「勘がいいな。矢張り生徒会に欲しい。俺は俺が求める生徒会体制を作りたいんだ。その為に君は必要だ。」 それから、何分間か長谷部は話した。成程、これは絆されても仕方が無いと思った。彼の褒める一つ一つが的確で、心に響く。人をその気にさせるのが上手い。 それから、何となく、いや、少しは変わった事をしてみたいという好奇心もあって、生徒会に入ることを決めた。生徒会選挙は演説をして、その後信任投票。基本、生徒会長に推薦された人物が選び出す為、滅多に立候補する人物はいない。そして、言わずとも今年の生徒会長に推薦されたのが長谷部蒼人だった。 それから、何ヶ月か経ち、三年生、いよいよ受験生となってしまった。中学の頃よりもきっと緊張する一年になるのだろう、そんなことを思った。 因みに生徒会選挙の結果としては、無事過半数に信任され、僕は会計として生徒会メンバーに入っていた。長谷部とも少しは話すようになった。雑談みたいなのはほとんど無いけれど。 「千翔に一度会いたい。」 そんな電話が来たのは、梅雨入り前の事だった。父からの電話だった。久しぶりに聞いた声に驚き、そして、憤慨した。今まで放っておいて何が会いたいだ。お前のせいで母さんは、言いたいことは山ほどあった。だけれど、それよりも子供の頃の楽しかった思い出が頭を離れなかった。もう元には戻らないものだと分かっていても、あの頃の感覚に浸りたいとも思った。 楽しい頃の記憶と共に嫌な記憶も蘇ってくる。何だかんだ、中学以降周りの人に恵まれて、楽しく過ごせてきたというのに、感情を押し殺していたあの頃に逆戻りしてしまった。 飲んだくれた母は俺の事を見てはくれない。父の名前を呟きながら、一人嘆く。 感傷的な気分だった。嫌いな鏡の前に立って自分の顔を見た。 「どこが、綺麗なんだか。」 美しい、美しいと周りの人は褒め称えるけれど、自分にはどうにもそう思えなかった。そして、相変わらず表情筋は機能しない。未だ感情を表に出す事は得意になれない。 最近気にもしていなかったのに、周りの自分から遠ざかる様な反応も一々気になってしまって、徐々に疲れを感じていた。中学の頃は矢田と千葉。高校に入ってからは水瀬。結局、話し掛けてくれる人間はそれだけなのだ。それ以外は全員、自分を人外かなんかだと思ってる、そんな気がした。 「あの、傘、持ってないんですか?」 そんな憂鬱な気分にもまれている時、そんな声が横から聞こえてきた。外は確かに雨が降っていた。ぼうっとしていて、気づかなかっただけだった。 声を掛けてきたのは、黒髪で短髪の綺麗な男の子で、背は僕より低かった。何より印象的だったのは、声色よりも感情の抜け落ちたその瞳。しかし、直ぐに彼は目を逸らしてしまった。 「あぁ、うん。忘れちゃって。」 本当は折り畳み傘が鞄に入っていた。でも、何となく嘘をついた。人の優しさに触れたかったのかもしれない。いや、咄嗟に出てしまっただけなのかもしれない。 「折り畳み、持ってるんで貸しますよ。」 ありがとう、そう言って貸して貰おうとして、猜疑心が芽生える。 「…良いの?」 「はい。」 「…なにか期待してるなら、何も返せないけど、良いの?」 去年クラスメイトだった人に自分に積極的に話しかけてくれた人がいた。何かと手伝ってくれたり、物をくれたりする人で、単純に良い人だと認識していたが、それは違った。彼は自分と付き合う為に、それを理由としてこじつけ様としていたのだ。中々食いさがらなかったが、水瀬が助けてくれたお陰でどうにかなった。 それから、簡単に物を貰ったり、手伝って貰うことをやめた。そして、そういう事をする人は大概下心があった。 「傘一つで何を期待するんですか。」 しかし、彼の回答はシンプルだった。あっけらかんと答える彼に呆然とする。その時、彼に興味を持った。よく知りたいと思ったし、彼に近づきたいと思った。こんな風に思ったのは初めてだった。
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