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柊に作って貰った夕食を食べて、貸してもらった風呂に浸かった。最後で良いとは断ったのだが、柊家がいいよいいよと言って、結局美愛の後に入らせて貰うことになった。
そうして、風呂に上がってから、慎介さんに声を掛けられた。
「改めてだけど、掃除を手伝ってくれて、今日は、ありがとう。美愛も久し振りに君に会えて嬉しそうだし、来てくれて良かった。」
慎介さんは、カップの中の珈琲を小さなスプーンで回旋させながら、穏やかでゆっくりとしたテンポで話を進める。
美愛は柊に何かを指摘されたのか、苦笑いを向けてから、部屋に籠っている。偶に上から騒がしい音がするのは、掃除をしているからなのかもしれない。柊は風呂に入り始めたばかりなので、俺と慎介さんだけがリビングにいた。
「どうだい、響介との寮暮らしは?」
「助かってます。色々と。昔からですが、優しいので。」
「そうだね。あの子は優しい。だけれど、そのせいで色々犠牲にしてしまうものもあるのかもしれない。」
慎介さんは目を伏せた後、カップに口をつけた。
柊は俺と一緒に居てくれる。突き放す事はしないし、置いて行くようなこともしない。どんなに俺に呆れようと手を伸ばすのが柊だった。
「…柊は、気を遣いすぎ、だと思います。もっと怒っても、感情を出しても、俺はいいと思います。」
「うん。あの子はよく自分の気持ちを押し殺してしまうから、多分、自分でも気づかないほどに疲れてしまっていることもあるかもしれない。だから、勇くん、響介の事、宜しく頼むね。」
あぁ、今は何も気にしたくないのに。一瞬、嫌な事が頭に過ぎって、俺は静かに心に閉ざす。
「はい。」
慎介さんは満足そうに目を細めた。優しくて、家族思いの良い人だ。家事は出来ないけれど、不器用だけれど、昔から、柊の事も、美愛の事もよく考えている人だった。
「そういえば、勇くん。今、彼女はいるかい?」
「?いえ。居ないです。」
「もし、この家の居心地が良かったら、美愛の事、少し考えてくれないだろうか。勿論、君の気持ちが最優先なのだが。」
心臓がどくりと嫌な音を立てて鼓動した。
「どういう事ですか?」
思ったより冷たい声がでてしまった。慎介さんもそれには少し驚いた様だった。
「いや、気に障ったなら、申し訳ない。どうも、君らが、響介と君が離れる未来が見えなくてね。先を考え過ぎてしまったみたいだ。僕も浮かれていた。すまない。」
そう申し訳なさそうに、頭を下げる慎介さんを見詰めながら、聞こえた言葉を頭の中で分解していった。美愛の事、柊の事、それから未来の事。
「…この先、俺と柊は離れるのでしょうか?」
「いや、分からないが…、いつまでもこのままという訳にはいかないだろう。大学を出れば、就職をするだろうし、その内結婚もするだろう。新しい関係が増えていけば、昔の関係は薄れていくものもある。」
「……そうですか。」
このままではいられない、急に現実を叩きつけられたような感覚がした。見たくないこと、聞きたくないこと、考えたくない事から目を背け続けていた事に気づいてしまう。そして、またそれから逃げようとする自分にも辟易した。
でも、考えたくない。苦しいのは嫌だから。
「……少し考えてみます。」
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