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「少し考えてみます。」
そんな声が聞こえて、ピタリと足を止めた。少し開いていたドアの隙間から中を窺うと、勇と父さんがテーブルを挟んで座っていた。父さんは何故か嬉しそうで、勇はいつも通りの無表情だったが、俺にはそれが暗く見えた。
「どうしたのよ、お兄ちゃん。」
いきなり後ろから声を掛けられて、思わず肩がビクリと反応する。振り返ってみると、美愛が怪訝そうな表情でこちらを見ていた。
「いや、勇が父さんと何か話してるみたいだったから、入りづらくて。」
「なるほどねぇ。確かにパパと勇さんが並んでると、大分怖いよね。」
苦しい言い訳かとも思ったが、美愛は案外あっさり納得してくれた様で、ほっと胸を撫で下ろした。
美愛は熱の篭った視線を勇に向けていた。兄妹揃って、勇の虜。笑えない。
それでも最初の美愛はどちらかと言うと勇の事を嫌っていた様に思う。今はこう俺を邪険に扱うが、それより前は俺から一ミリも離れない、そんな妹だった。
だからか、勇がここに来た時、俺の後ろからずっと離れず、勇を睨み続けていた。俺が勇に近付こうとすれば、何かしらちょっかいを出して、それを制した。
『お兄ちゃん何か大っ嫌い!!!』
ある時、そう言って美愛は家を飛び出した。理由は俺が勇ばかりを構い、美愛を放置していたせいだった。どうしても、勇と友好を深めたくて、美愛を遠ざけてしまっていたのが、駄目だった。
俺は勿論、焦った。慌てて家を飛び出した。しかし、姿は見えず、近くの公園や美愛の友達の家の近くなどを探し回った。しかし、中々見つからなかった。焦りとか罪悪感とかそういうのでいっぱいで泣きそうだった。どうにかしてくれ、そう願った。
『柊。』
そんな時、後ろから声が掛かった。まさかと思って振り返ると、そこには勇が立っていた。そして、その手を強く握って、俯いているのは、美愛だった。
『道端で蹲っているのを見つけた。』
俺は、声も出ずにその場に突っ立っていた。美愛は泣き腫らした目でこちらをちらりと窺った。
『美愛はもう平気だ。だから、安心してくれ。』
勇は美愛の頭をそっと撫でた。無表情ながらも優しさが現れていた。勇に手を引かれながら、少しずつこちらに向かってきた。
『柊、お疲れ様。』
そうして、勇は美愛と同じ様に優しく頭を撫でた。今まで堪えていたものが、どっと溢れてきて、俺は咄嗟に両手で顔を覆った。
俺が泣いていることに気が付かれてしまったのか、美愛も今度は泣き出した。二人とも小さな子供みたいに路上で泣いていた。勇はいつまでも頭を撫で続けてくれて、そのせいで俺はいつまでも涙が止まらなかった。
あの時以来だろうか、美愛が勇に懐き始めたのは。懐かしさに浸りながら、何となく羞恥を感じて、顔を覆う。そう言えば、勇と一緒にいたい、勇が好きだ、そんな好意を持ち始めたのもあの頃かもしれない。
兄妹揃って、あの日の勇に心惹かれ、そして今の今までずっとその想いを引き摺っている。
「美愛、布団出すの手伝って。」
「いいよ。」
お互い最後まで勇の姿を見て、階段へと足を向けた。
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