第1話

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第1話

「ほらぁ!また忘れてるぅ!」 そう百合(ゆり)が突然言い出した。 「ん? なに………」  俺は気の無い返事をする。それに対して百合は剥れた頬に口を尖らせた。「六月二十三日、今日は何の日だ」  白々しく聞いてくる百合の言葉を余所に俺は「知らん梅雨の日か」と答えた。  今日六月二十三日。曇り空だ。京都タワーへの道のりを歩く。梅雨に入って今日は久しぶりに晴れると思いきや曇り。  今にも降り出しそうな暗雲立ち込めた空模様の中、二人で歩く。ジメジメとした空気の中、俺はさっき買ったソフトクリームを頬張り半袖でちょっと汗ばんでいる。  百合も今日はジメッとしていたのかノースリーブのワンピース。もう直ぐ夏だからか、湿気とともに気温は割と高い。  こんな日だというのに二人とも傘を持たずに歩く。というより忘れたのだ。夕方から60%の予報だったのにも関わらずに俺も百合も傘は持っていなかった。  そんなことと梅雨は関係なく、突然小雨が降り出した。駆け足で二人タワーに上る。エレベーターに乗り、直ぐに展望台へと到着した。  こんな曇り空、いや雨模様なのに夜景を楽しむ人はそれなりに多くいた。  傘も持っていない俺たち。あの日もそうだった。  「ハァハァハァハァ……チッ!」  俺は息を枯らしながら舌打ちをして走っていた。神戸のメリケンパークから買い物をして夕日を見に海に行った時だった。突然の雨模様。傘も持たずに行っていた俺を豪雨が襲っていた。  電車に乗るまでの間の道のり。人通り少ない路地裏で、一人の女性が俺より早くヒールを鳴らしツカツカと走り去る。  その後を追うようにスーツの男二人がかりでその女性を追っていた。急に立ち止まりその女性は男たちに持っていたポーチを投げ捨てたが、男たちはそれを払いのけて、女性に襲いかかる。  それを見て見ぬふりしようとしたが、その女性の悲鳴で俺は走る足を止めた。力に自信があったわけでも、その女性がモロにタイプだったわけでもない。  ただ本当の悲鳴と言うものを聞いた時俺の足は自然に止まり、その女性を襲っている男たちに近づき声をかけた。 「やめたれや! 嫌がってるやんけ!」  普段の俺からしたらそんな大それた言葉など出るはずもなかったが、その時はどう言うわけか男たちに言葉を浴びせていた。  自分自身でも驚く対応だった。勝つ見込みなど到底無いはずだったのに、俺は男二人を相手に食い下がった。 「何やお前、関係無い奴はひっこんどれ!」  俺と同じ関西訛りの男たちの言葉にも動じることなく食いさがる。 「嫌がっとるやんけ! やめたれ言うとんねん!」  夕刻の人通り少ない路地裏での出来事はあっという間だった。男が女性の片腕を持った状態だったのにもかかわらず、俺は後ろポケットに入れていた財布を取り出した。金を渡すわけでは無い。  それを武器に戦おうとした。  勢いよく下からその財布を男の顔面めがけて何も言わずに振り出した。男一人が後ずさりした時、俺はすかさず今まで喧嘩でも出したことの無い裏拳を男の顔面にヒットさせていた。  自分でもわけがわからず、女性がその瞬間に少しかがみ腰になったところを男から腕を取り、その女性に声をかけた。 「ヒールを脱げ!」  女性はとっさにヒールを片方脱いだ。それを俺は持ち、今度は男の太ももにヒールのピンを突き刺す勢いで振りかぶった。  男の唸る悲鳴にも似た声がした。いけると確信した俺はすぐさま女性のヒールをもう一人の男に投げた。女性も俺の真似をして男にヒールを投げる。  その時俺は女性に「行くぞ!」と一言発し、女性の腕を取っていた。駅までの道のりは覚えていない。ただ二人で必死に走ったことだけ。  息、からがら二人して、電車に飛び乗った。扉が閉まる瞬間に男一人が後部扉から乗り込むのが見える。すかさず俺は女性の手を取り、扉が閉まる瞬間に前方扉へと逃げて下車した。  男を乗せた電車はそのまま走り去る。その様子に女性は安堵の表情を浮かべ、俺に初めて挨拶をした。 「ありがとう、助かったわ」 「いや、もう一人いるはずやで?」  京都方面の電車のホームから俺たちは、また反対方向へと移動する。すると電車がやってくる。  京都方面へのホームにはもう一人の男が駆け足で階段を上がってきたのが見えた。電車に乗り込んだ俺たちに気づき、大声で叫んでいるようだった。  俺たちを乗せた電車は京都方面から反対の須磨方面へと電車が走り出す。ようやく俺も安堵して「なんやってん。あれ」と女性に声をかけた。  すると女性はようやく笑顔になり小さく「ありがとう」微笑んだ。それが俺たちの最初の出会いだった。  その日は奇しくも6月23日。  あれから3年、俺たちは今日も傘も持たずに京都タワーに上っている。夜景が綺麗には見えない。そんな中、百合は今日も剥れている。 「今日は何の日だ?」  などと言う言葉はもう俺の中では忘れられない日だ。  あえて忘れたふりをして、百合を膨れさせて喜ぶタイプ。  今日は、百合の誕生日でもある。  そんなあの日になぜ、彼女、百合は襲われていたのか。それは六月二十三日から二日経った京都での出来事で判明する。  俺の働くカフェに突然彼女が現れた。2日前に助けた時には俺は何も聞かずにそのまま別れた。ただ助けただけだったのに、彼女は俺の働く場所に現れた。そして突然接客中の俺に言った。 「一昨日はありがとう。近くで働いてるって言ってたから探してみたら、ここだったわ」 「あっ、そう……ばれた?」 「お礼ぐらいちゃんと言わせてよ! というか、怪我大丈夫? まだ痛々しいよ、顔……」 「あぁ、大丈夫こんなの唾を付けとけば治るし」 「先日は本当にありがとうございました。ちゃんと住所ぐらい教えてよ」 「まぁ無事だったからええやん?」 「そんな問題ちがう」  百合はそれからというもの毎日のように現れて、俺を口説く。そんな姿に根負けして、俺は百合と付き合うことにした。初めは襲われるぐらいの怪しいやつだと踏んでいた俺だったが、性格が俺と合ったのか、俺はどんどん百合に惹かれていった。  そんな三年前出会った今日六月二十三日だ。  今日は俺はシレッとふざけた格好で、ふざけた言い回しで雨の中、京都タワーに百合を誘っている。 「ねぇ、景色あんまりよく無いよ? 出ない?」 「嫌や」 「何でヨォ!」 「ん? それはね?」 「………なに? 急に……」  俺は真剣な眼差しを百合に送った。そして……。 「忘れてないよ。俺たちが出会った今日六月二十三日も雨だったなぁ?」 「えっ…」 「うーんそうだったよ。今日は神戸の海は見えないけど、あの場所で出会った記念日の今日、俺はここでお前に言いたいことがある!」 「なに?」 「あの日は俺にとって特別な日になった。お前にとってもそうだったように、だから」 「だから?」  百合が優しい顔になり聞き返す。 「お誕生日おめでとう。そしてこれからもよろしく。これから先も六月二十三日は忘れちゃいけない日になることを祈って……」 「祈って?」  また百合は俺に聞き返す。  俺はジーンズのポケットにしまっておいた指輪を出すためにポケットに手を入れた。 「……ん?」 「どうしたの?」 「あっいや……」 「ん?」  入れておいたはずの指輪が無いことに気づいて、唐突に持っていた百合の缶ジュースのプルトップを外した。 「ごめん……指輪がない……」 「はぁ?」 「だから、今日はこれで勘弁して。今度ちゃんと渡すから」  俺は缶ジュースのプルトップを百合の細い薬指先にちょこんと挿した。 「来年もその来年も今日六月二十三日は、お前の誕生日であって、記念日にしたい。結婚しよう?」 「………ハァ………」百合は小さくため息をついた。  そして一言。 「最後だけ、ちょっとダサく無い? まぁ、あなたらしいけど」  肝心な時に忘れた物は、思い出のものになったはずだ。  俺たちが出会った忘れちゃいけない物語とともに。
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