11 十月三日(十日目)

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※  大きな地震でもあったかのように、足元が揺れた。ちかちかと目の中でまぶしい光が瞬き、それでも辛うじて倒れずに踏み堪える。いや、踏み堪えたのは俺じゃない。気が付くとつい今しがたまでの息苦しさも痛みも消え、その代わり身体の自由を失っていた。俺はまた、真島護の中にいた。 「いったい……何だ、これは」  彼は呆然と、リビングとひと続きになったダイニングの惨状に目を瞠っていた。壁のあちこちに、赤黒いものが飛沫となって悪趣味なアートを描き出している。おぎゃあ、おぎゃあという声は、もうすぐ近くから聞こえていた。キッチンの中央に膝をついてうずくまり、かんなが床に包丁を突き立てていた。何度も、何度も。まるでそこを掘り返そうとでもしているかのように。 「かんな……おい、何をしてる?」  彼女はなおも床を刺し続ける。大きく口を開けて、喘ぐように声を上げながら。赤ん坊の声は、その口から吐き出されていた。 「かんな……かんな!」  護は妹の名を呼びながら、ダイニングへと足を踏み入れ、キッチンの奥を覗き込んだ。そうしてそこに、誰かがうつ伏せに倒れているのを見た。 「……お袋?」  それは母の百合子で間違いなかった。もはや身じろぎもせず、周囲には大きく血溜まりが広がっている。護はまた眩暈を起こしたようにふらついた。母がすでに死んでいることを理解して、それでもまだ何が起きているのかも飲み込めずにいる。俺は彼の中からしっかりしろと呼びかけたが、そんな言葉は届きそうにもなかった。  同時に、どうしてこうなったのかと俺も混乱していた。刃物の類は、全部隠したんじゃなかったのか。まさか吉瀬の野郎が、何かを見落としたか。あの男のことだからそれもあるかとも思えたが。 「……護、か……?」  そのとき近くから、ようやく絞り出したかのような苦しげな声が聞こえて、彼は目を巡らせた。するとダイニングテーブルの陰から、スリッパを履いた足が覗いているのが目に入った。慌ててそちらに駆け寄ると、彼はまた愕然として立ち尽くす。
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