11 十月三日(十日目)

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「かんな!」  そのとき、不意に声が聞こえた。そして目の前の、何もないはずの空間が歪み、小さな穴が穿たれる。穴は徐々に広がり、そこから黒いものが覗いていた。黒衣の背中が。黒髪が。少しずつ、形を露わにしてゆく。それは、この場にいるはずのない人間のものだった。護にとっては、ここにいてはならない女の背中だった。 「……弥生?」  そうして全身をそこに顕現させた真島弥生が、ゆっくりとダイニングテーブルに近付いてゆく。目はしっかりと、変わり果ててしまった妹へと向けながら。 「駄目だ。やめろ、やよ……」 「お兄ちゃんは黙ってて」  ぴしゃりと護の声を遮って、彼女は足を止めた。そうして硬い声で言い放った。 「殺すならわたしを殺しなさいよ、かんな」  おぎゃあ、おぎゃあとかんなは泣き続けている。目は、いまだ護へと向けられていた。その視線を遮るように立ちはだかる、弥生の姿が見えていないかのように。 「あなたが憎いのは、わたしでしょう。大好きなお兄ちゃんを独り占めしようとした……わたしを、殺したいんでしょう?」  抑え込んでいた感情を爆発させ、裏返るように声を歪ませながら、弥生は叫んだ。俺は護の耳を通してそれを聞きながら、無駄だとつぶやいた。いや、つぶやいたつもりだった。今の俺の声は声にならないから。 「……無駄だよ、弥生」  しかし、真島護はまったく同じ言葉を口に漏らしていた。 「無駄。無駄って何よ」  彼はそれには答えず、よろよろとようやく身体を起こした。そうしてまたかんなのほうへと歩み寄ろうとしたとき、彼女がまた飛んできた。立ち塞がっていた弥生の脇をすり抜け、まっすぐこちらへ。護の身体はまた弾き飛ばされ、リビングの壁に背中から激突した。喉の奥から鉄の味が勢いよくせり上がって来て、目の前が赤く染まる。
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