ハナの貌

5/9

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 センセイはボタンを押して店員を呼ぶと三杯目のコーヒーのおかわりを注文しました。なくなったポテトの皿を下げる店員の背中を見送った後、私は自分で持ってきたお冷をちびちび口に含めました。 「そんなに飲むんだったらドリンクバーにした方がよかったんじゃないですか」 「席をたって自分で取りに行くというのが苦手なんです。飲食を提供してくれるお店では運ばれるのを待つ間がだいご味だと思ってるんです」  変ですよねとセンセイは笑いました。私は何も答えませんでした。 「子どもの頃から変わってるとよく言われました。同じ年の子どもたちとボール遊びをするよりも花や虫の図鑑をもってそこに載っているものを探すことの方が好きでした。よく言えば探求心が強かったんでしょうが、分からないことがあると、なんでも確かめたくなる性分でした」  私は子どもの頃何をしていたんでしょうか。虫の鳴き声ような冷蔵庫の稼働音だけが頭の中で反響しました。薄暗い部屋で一人冷たいオムライスを口に運んでいる記憶しか思い出せません。思えば、物心ついた時にはすでに一人だった気がします。 「運動はあまりできませんでしたが、勉強は好きだったので教師になることは難しいことではありませんでした。自分の知識を生かせる素晴らしい仕事だと思いました。未来ある子ども達のために尽くしてよい教師になろう、と自分なりに頑張っていたんですが」  センセイはそこでコーヒーをぐいっと飲み干しました。 「――一年前、生徒が自殺しました。彼女は花壇の手入れをよくやっていて黄色のパンジーが大好きでした」  父親から虐待をうけていたんです、と先生はぽつりと呟きました。 「ハナさんの家族仲はどうでしょうか、食事を満足に摂れなかったり暴力をふるわれたりはしていませんか」 「……そういったことはなかったです」  もうどれくらい会話をしてないんでしょうか。父と母は離婚こそしていませんがもう何年も前からそれぞれ別によりどころをつくっているようでした。しだいに家に帰ってくる回数も減っていき今ではそれぞれ週に2、3回帰ってくればいい方です。私一人が冷たい部屋の中でいつも亡霊のようにたたずんでいます。  後ろの不良学生達がぞろぞろと立ち上がり私達の横を通り過ぎていきました。先ほどの赤髪の男の子と目が合い慌てて目をそらしました。私とセンセイはあのこにはどんな風に見えたのでしょうか。時計を見ると、もう入ってから三時間ほど経っていました。 「センセイ、私たちもでませんか」  私は意を決してセンセイを見つめました。 「一緒にいってほしい場所があるんです」 少し困った顔をした後に、センセイは小さく微笑んでくれました。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加