ハナの貌

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 家に帰ると、今朝まであった小型のテレビがなくなっていました。玄関に靴はなかったので私がいない間にどちらかが帰ってきて持って行ったんでしょう。先週はオーブントースターでした。べつにもともとテレビは見ないので困りはしません。テーブルの上に置いてあるお金が入った袋を掴んで自分の部屋へ向かいました。  机の上の白い画用紙の端には小さな紫色の花が水気いっぱいでぼやけて描かれていました。美術の授業の課題を描いている途中で出かけたことを思い出しました。  題材は好きな花でした。ゆっくりと椅子に座りました。彼女が好きだと言っていたすみれを描こうとしましたがどんな花だったかはっきりと思い出せません。パソコンで画像を調べようと検索していると彼女の温かい背中の感触を筆を持つ右手に感じました。すみれちゃん、と弱弱しく微笑む彼女の表情が脳裏に浮かびました。すみれはやめてパンジーの花にしましょう。  下書きをしないままオレンジと黄色の絵の具を手に取りました。  ――すみれちゃん、自首しよう。  帰り道、彼女はそんなことを言ってきました。  ――こういう場合学校と警察どっちが先か分からないけど、わたしも一緒についていくから。 「ともだちでいたかったのに」  ぽつりと呟くとなぜだか息が苦しくなってきました。  彼女があんな偽善者ぶったことを言わなければ私たちはまだ友達でいれたはずです。正しい人ならすぐにそのことを教員に告げたでしょう。しかし彼女はそれを黙っていた。黙っておびえて数日間私との放課後から逃げていただけなのです。そのまま弱い人でいてくれたらよかったのに。  いびつな花びらを描いた後黒い絵の具に手を伸ばしました。なんだか真ん中の黒っぽいところは顔みたいで不気味だなと思いました。本物を何度も見てきたのにこんな感想を抱いたのは初めてです。少し考えた後、わたしはメール画面を開きました。一番上にセンセイからメールが来ていました。  僕のせいにしても逃げ切れないのならば、明日の十八時に駅前まで来てください。  一人で逃げ切れるのなら今までのメールは削除してください。
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