確率

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僕の病気は、"確率依存症"だ。 この病気は1/1080億の確率で発症する。 つまり、全人類で僕しか居ない。 症状は極めて深刻だ。 あらゆることを確率で表さなければ、 発疹、発熱、嘔吐、呼吸困難、 最悪の場合は心肺停止となる。 治療法はまだ見つかっていない。 僕のことを偉い研究者達が あらゆる検査をして調べたけれど、 特に異常はなかったらしい。 担当医の話によると、 後天的な何らかのトラウマや ストレスのようなものが 影響しているんじゃないかって。 この病気を発症したのは、 5歳の頃だった。 僕は近所に住む友達と遊んでいて、 しりとりをすることになった。 「しりとりの"り"から始めよう。」 「じゃあ、りんご。」 その時だった。 突然"しりとりがりんごから始まる確率"が 気になって気になって、仕方が無くなった。 りから始まる日本語は。 りんごという単語の知名度は。 しりとりをりから始める可能性は。 あらゆる公式が頭の中で 瞬時に計算されていく。 具体的なことは自分でもよく分からない。 ただ意識を逸らそうとすると 症状が出てしまうから、 自分の思考に従うしかないんだ。 やや不便ではあるけれど、 今ではこの体質にも慣れ、 上手に付き合えるようになっていた。 それに役に立つ瞬間だってある。 降水確率は天気予報より確実であるとか。 だが、僕は23歳になったある日に 決してやってはならない、 取り返しのつかない過ちを犯したのだ。 僕は普段TVを観ないようにしていたんだ。 TVはあまりにも情報量が多すぎて、 疲れてしまうからね。 でもその日は、 初めて彼女の家に招待してもらって、 彼女の家族と共に食事をしていたんだ。 あ、失礼だな。 僕にだって彼女くらい居るさ。 彼女の家では食事中も TVをつけっぱなしにしておくのが 普通らしい。 もちろん病気のことは彼女にも 彼女の家族にも打ち明けていたけれど、 TVを消してくれって言うのは 少々気が引けてしまった。 仮に消してもらったとしても、 鎮まりかえった食卓で会話が途切れた時の 沈黙に耐え切れるか、と考えると 尚更言えなかった。 彼女の家族の前で緊張するのは 当たり前のことだとは思うが、 加えて僕はそこまで饒舌ではないのだ。 それで、TVの音など気にせずに 会話を楽しもうと思っていた。 途中までは良かったんだ。 彼女が幼少期に本気で魔法使いを 目指していた話とか、 スーパーに売ってる卵も温め続けると ひよこが孵化するって信じていた話とか、 そういう思い出話で盛り上がった。 そのあと食事が済んで 片付けをしようとしたのだが、 「お客様なんだから、ゆっくりしてて。」 と気を遣ってもらい、 お言葉に甘えることにした。 他人の家のリビングで1人になった僕は、 ふとTVに目が行ってしまった。 その時に流れていたのは、 難病を奇跡的に克服した少女の ドキュメンタリー番組だった。 今まで僕が考えてしまわぬように 逃げてきたこと。 それについに直面してしまった。 "僕の病気が治る確率"が 気になってしまったんだ。 運が悪かった。 これがお笑い番組やニュース番組だったら、 支障は無かったはずなのに。 結果は0%だった。 そんな気はしていたが、 現実を突きつけられると怯んでしまう。 あぁ、もう治ることはないのか。 そう思ったら身体の力が抜けて、 生きる活力が消えていくのが分かった。 今、僕が自殺する確率を調べたら、 間違いなく急上昇していることだろう。 「どうしたの、大丈夫?」 片付けを終えて戻ってきた彼女は、 顔面蒼白で抜け殻のようになった僕を見て さぞかし驚いたであろう。 それでも冷静に何かを察し、 彼女は僕を椅子に座らせなおしてから 優しく声をかけてくれた。 「確率って一時的なものでしょ。 だったら変えることも できるんじゃないかな? たとえ私たちがうまくいく確率が 限り無くゼロに近いとしても、 私は頑張って変えてみせるよ。」 彼女の言葉によって、 じんわりと心の暖炉に 火が灯された感覚があった。 この出来事を機に、 僕は確率に捉われない生き方へと 変えていった。 確率はあくまで確率だ。 そう思うようにした。 そうして気付いた時には、 僕の症状は出なくなっていた。
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