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 桜木はるちゃんは家が隣同士の同級生で幼馴なじみ。幼稚園の頃はしょっちゅう近所の公園へ遊びに出かけていて、小学校に入るまでは親戚だと本気で勘違いしていたくらい家族ぐるみの付き合いがあるんだけど、それはお互いの母親同士が親友関係にあることに起因する。  今の家には僕が生まれてすぐに引っ越してきた。はじめての育児にノイローゼ気味だったうちの母はある夜、父に僕を預けて散歩に出かけた。家を出て100メートルほど歩くと、母は自販機を見つけて立ち止まった。そして四角く枠抜きされた明かりを眺めているうちに、なぜだかひどい不安に襲われて体が震え、泣き出してしまったそうだ。  そこへ、はるちゃんのお母さんが通りかかった。はるちゃんを胸に抱え、片手には買い物袋を持っていた。 「梅宮さん、ですよね?」  はるちゃんママはお母さんに話しかけた。この頃はまだ、お引越しの挨拶程度しか会話をしたことがなかったらしい。 「ああ、桜木さん」と、母は笑顔を浮かべた。「すみませんね、びっくりしますよね、道端でこんな……」 「梅宮さん」 「はい?」 「笑っちゃダメですよ」 「……えっと」 「もしよかったら……さっきの梅宮さんでお話聞かせてくださいよ」  こうして、母はまた泣いた。号泣だったらしい。そのあと桜木家で小一時間ほど話をした二人は、のちのち親友へとつながる絆の第一歩を踏み出したらしい。   「冬彦!はやく起きろよ!」  こうやって親のように僕を呼んでいるが、はるちゃんだ。玄関から二階にある僕の部屋の窓に向かって大声をあげている。恥ずかしいったらありゃしない。 「今行くー」  と一応返しておかないと後でひどい目にあう。はるちゃんは陸上部で体力があって、それが一番活かされるのが僕に灸を据える時なのだ。社会貢献でもしろっつーの。 「冬彦はやくしなー」と、これはうちの母。「はるちゃん待ちくたびれてるよ」 「あっちが勝手に待ってるだけじゃん」と不機嫌になりつつ、僕はトーストにマーマレードジャムを塗る。たっぷりとね。 「待ち合わせもそうだけど、高校も遅れちゃうよ」 「僕は大丈夫だよ。はるちゃんは部活の朝練、遅れるかもだけど」 「喋ってないでさっさと食べて、はるちゃんの朝連にも間に合わせなさい!」  何を言っても無駄か……僕はため息をつくのさえ控えて、パンを必死に頬張った。ほんと、いい迷惑だよ。 「なーんでいつまでもいつまでもいつまでも冬くんは朝が弱いわけ?」  駅に向かう途中も、はるちゃんの口はマシンガンみたいにくるくる回る。僕はそんなはるちゃんの表情を見上げている。僕は身長が低いし、はるちゃんは身長が高い。おまけに僕が三月二十八日生まれ、はるちゃんが四月五日生まれで年が一年近く違うから、まるっきり僕がリードされる形になってしまう。 「だから僕が朝弱いんじゃなくて、はるちゃんが朝強いの」 「だったらやっぱり、私から見て冬くんは朝弱いじゃん」 「物の見方が狭すぎじゃないそれ?つか大体、なんで毎朝迎えにくるんだよ」 「心配だから」 「心配って、なんで隣の家の女子に心配されなきゃならないんだよ」 「それは冬くんが悪いでしょ、心配させるんだから」 「おかしいじゃんそれ、僕は普通に毎日をエンジョイしてるんだよ?第一親じゃあるまいし」 「弟みたいなもんじゃん、私から見れば」 「だからなんで……」僕は色々と反論しようとしたが、やめた。どう考えても泥試合になることは必至だ。 「なに、ぐうの音も出ないんだね」  僕の心境などまるで理解せず、はるちゃんはなおも続けた。僕はちょっとだけカチンときた。 「あのさ」あくまでも冷静に僕は言った。「はるちゃんも彼氏とかつくった方がいいんじゃない?」 「……はああああああ!?」  はるちゃんの眉間にみるみるシワが寄っていく。しまった、と僕は思った。話が横道に逸れると思ったのだが、なんだか火に油を注いでしまったようだ。僕は叩かれるのを覚悟し、目をつぶった。  しかし、意外なことにはるちゃんは、そのまま黙って歩き続けた。かえって妙に思った僕は、はるちゃんにたずねた。 「どうしたの?」 「え、なにが」はるちゃんのご機嫌が斜めであることには違いなかった。 「いや……」僕はこれ以上余計なことを言わないようにした。はるちゃんの鉄拳は、並みの男子のそれよりもはるかに痛いからだ。 「お前とはるちゃんってどんな関係なわけ?」昼休み、学食で一緒に列に並んでいた門松が聞いてきた。「家が隣の幼馴染とか、あれじゃん、あれ」 「なんだよあれって」  僕が鬱陶しさをあらわにしていると、列が前に進んだ。 「あれったら、あれだよ、ロマンチッックな関係っていうかさ」 「少女漫画じゃあるまいし」  さらに列が進んで、カウンター越しにパートのおばちゃんと目があった。僕はハヤシライス大盛りの食券を手渡した。 「でもさ、あんなモデルみたいに綺麗な子が隣に住んでてさ、なんにも思わないなんておかしな話だと思うけどな」 「門松さ、姉さんいたよね」 「え、なんだよ唐突に」 「姉さんのこと好きになるか、お前」 「なるわけないじゃん」そう言って門松はフライ盛り定食の食券をおばちゃんに渡した。 「それと一緒」 「いや、そりゃさ、うちの姉貴は俺のタイプじゃねーし」 「そういう問題じゃないと思うよ」 「でもさー、いいのかよ、陸上部の結城、あいつ桜木に気があるって噂だぞー」 「そういうゴシップどうでもいいから」  僕は呆れながら食事の受け取り口に進んだ。すると、盛り付け担当のおばちゃんが僕の食券を見ながら、明らかにカレールーをご飯にかけていた。 「あの」僕は慌てておばちゃんに声をかけた。「僕、ハヤシライスなんですけど……」 「あら、間違っちゃった!ごめんねー、じゃあもう、おまけ」  そう言って、おばちゃんはカレールーの横にデミグラスソースをかけた。ご飯がカレーとハヤシで半々に埋もれている。 「ああ……なんかすみません」僕はそう言って、なんともわんぱくなカレー・ハヤシを受け取った。  
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