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 放課後、生徒たちがそれぞれの部活へ向かって昇降口を出て行く。そんな中で僕は耳にイヤホンを突っ込んで帰宅の途についた。  一応文芸部に所属してはいるのだけど、真面目に活動する生徒と適当に漫画とか読んでいる生徒との温度差が激しく、僕は後者の中でも一段と不真面目なのでさっさと帰るのだ。  昼間に話しかけてきた門松は意外にも真面目に活動する文芸部員なので、多分今頃は、同志たる文芸オタクたちとハードSF談義でもしているんじゃなかろうか。聞き流す分には嫌じゃないけど、きちんとついていくことはできない。  校舎を出て、校庭の脇を校門に向かって歩いていると、はるちゃんの声が聞こえた。  僕は反射的に校庭の陸上トラックを見る。これはそう、反射だ。小さい頃から訓練された結果なのだ。  はるちゃんはスタートラインから連なる列に並んでいた。手首足首をプラプラしながらミニハードルをちょこちょこ超える生徒たちにエールを送っている。あれは基礎ドリル練習っていうんだって、確かはるちゃんが前に言ってた。  はるちゃんの番はすぐにきた。綺麗なフォーム、なのだろう。はるちゃんは大体のことはうまくやる。はるちゃん自身は器用貧乏だって嘆いていたこともあったけど。 「おーい、さぼってんじゃねー」  僕はビクッとして校舎を見上げた。視線の先では門松が意地悪そうに廊下の窓から顔を覗かせている。 「なーに、見てたんだよ」そういう門松の声には何かの確信に満ちた意地の悪さがこもっていた。といっても、あくまでもおちょくりの範囲で。 「陸上の練習とか、俺には縁がないだろ」僕は意味不明なことを口走った。「……観察だよ、題材の」 「あ、そ」門松はわざとらしく納得して僕に手を振った。「なんか書けたら読ませろよな」 「え、ああ?おう、もちろん」僕はちぐはぐにテンションを上げてビシッと右手親指を立てると、やはりビシッと門松に向けた。門松も真似して親指を立てた。 「冬彦、遅刻するよ遅刻!」って言ったのは僕の母です。  また大袈裟なんだから、と思った僕は、起きずになおも寝返りをうち、再び寝入る体勢にに入った。 「あんた、遅刻だって本当に!八時過ぎてるんだよ!」  え?と衝撃が体を巡り、言葉が出なかった。だってはるちゃんは? 「やっぱりはるちゃんに感謝じゃない。一人だと目覚ましもかけないで寝ちゃってさあ」  ぷりぷり怒る母を無視しつつ、僕はベッドを飛び出しトイレに向かった。そして小用をたしつつぼんやりと事態を整理しようと努めた。  でも、うーん、分からん!  というわけでお隣の桜木家のインターホンを押すに至ったのだ。  ぴん、ぽーん。 「はいはいはい」と出てきたのは母の親友はるちゃんママだ。 「あのー今日はるちゃんは?」僕は気安く聞いた。はるちゃんママとも、僕は親戚みたいなもんだから。 「あれ、はる、今日はそっち行かなかった?」 「はい」 「あれ、おかしいね、いつもどおりの時間に出て行ったけど」 「ああ、そうなんですか」 「いつも無理やり連れ出してるのに、ごめんね。はるちゃん、冬くんのこと大好きだからさ」 「あ、いえ、こちらこそ急にお訪ねしちゃってすみません」 「それより……時間大丈夫?」 「あ」僕はスマートフォンを取り出して時間を確認した。ギリギリのギリ、という感じだった。 「すみません、失礼します!」  僕は頭をさげると、そのまま駅の方へ向かって駆け出した。  後方からはるちゃんママの「気をつけてねー」という言葉が僕を追ってきた。最近のはるちゃん、はるちゃんママに声が似てきたなあとその時になって気がついた。  ホームルーム開始のチャイムが鳴る中、僕は下駄箱で上履きに履き替えていた。普段なるべく運動らしいことはしない信条だっていうのに、駅からのダッシュに次ぐダッシュで目の前にチリチリ金属片みたいなのが飛んでいる。大丈夫か僕、死なないこれ?  しかし、もうひと踏ん張りだ。二年五組の教室は二階にある。担任はいつも、チャイムから三分前後で教室にやってくる。そのロスタイムの間に机へたどり着ければ、今日が正常な一日にリセットされるはずなのだ。  僕はほとんどチリみたいになった気力で階段を駆けのぼった。二階の廊下に出ると、分かれ道になる。左が一組から三組、右が四組から八組の教室に通じている。  当然、僕は右へ行かなければならないのだけど、左に向かった。  二年二組にはるちゃんがいるからだ。  なぜそれが理由になるのかはよく分からなかった。だけど、朦朧とする意識と身体は自然と二年二組の前に向かっていた。  教室の前方のドアから中を覗くと、窓際の席ではるちゃんが女子生徒数名と談笑していた。いつも通りのはるちゃんだ。  なーんだ、はるちゃんは今日も元気!と、よく分からない納得をしかけた時、背後に何か気配を感じた。 「君、何してるの?」  二組の担任教師だった。 「あ、いや、遅刻しそうで慌ててたら、教室をうっかり間違えまして……」  苦しい言い訳をしながら、僕はそそくさと自分の教室へ向かった。五組の担任教師が教室に入っていくのが見えた。  その日の放課後は久々に部室に顔を出した。文芸部の部室はなぜか空手部の道場の上の階にあるので、階下からはえい!だの、おう!だのとやかましく聞こえてくる。あまり創作には適さない環境だと思うのだけど、学校という権力組織から与えられてしまったのだから耐えるほかない。 「なに、じゃあお前、はるちゃんにフラれたわけ?」  門松はなんだか楽しそうに僕の話を聞いている。 「だからさ、そういう恋愛感情の問題じゃないんだって」 「そうかなー」門松のヤツ、完全に恋愛相談の雰囲気をまとっている。「実はさ、気づかないふりしてるだけなんじゃないの?」 「な、なんてこと言うんだ!」  思わず大きな声がでた。道場の方からも、なにやら動揺した声が聞こえてくる。 「落ち着いて落ち着いて」さすがの門松も少し慌てたのか立ち上がって僕を制した。「そんなさ、恥ずかしかったり恐ろしかったりする感情じゃないだろ。いいじゃないか、もしそうだったとしたら、人生の輝かしい大いなる一歩だろ?月面着陸さ」  最後の月面着陸はよく分かんなかったけど、確かに僕はなにを恐れたり恥じたりしているというのだろう、とは思った。僕はなにか訳の分からないものに無意識のレベルで振り回されているような……てことはもしかして。 「僕、はるちゃんのことが好きなのか?」僕は純粋な疑問形で門松に尋ねた。 「俺に聞くなよ」  門松が恥ずかしそうにするので、僕もなんだかもじもじしてしまった。  
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