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 久々に門松や他の部員たちとあれこれ話をしたおかげで、僕は少し晴ればれとした気持ちになった。  が、そんな状態は長くは続かず、家の最寄駅で電車を降りた後、激しい焦燥感と喉の渇きと、あと、泣きたいのに泣けないくらいの中途半端な寂しさがやってきた。  日が沈んで、寒くなってきた。そうか、もう九月も後半だもんな。  どんどん気持ちが沈む中で、僕は近所の公園を通りかかった。街灯が一個しかないその公園は、昔よくはるちゃんと遊んだ場所だ。  あの頃は僕ら、ほんとにいとこみたいだったなあ、と思いながら通り過ぎようとすると、ブランコが揺れている。  もしやと思って目をこらすと、そこにはやっぱりはるちゃんがいた。  はるちゃん!と元気に声をかけそうになったけど、僕は必死にその気分を抑えた。なにしろ、僕はもしかしたら、いや、もうかなり高い確率でおそらく、はるちゃんのことを…… 「冬くん」  ぶは、と頭のなかで何かが弾けた。弾けたものは真っ白だった。カレー・ハヤシの話でもしようと思ったのに、僕の頭のなかは途端に何もかもが真っ白いものをかぶって、何がなにかも分からなくなってしまった。 「あ、や、やあ」 「やあって、なにそれ、珍しいじゃん」 「うんまあね、はは、ははは、いいだろ、たまには変化があった方が」 「変化……」  はるちゃんはシュンとしてうつむいた。一大事だった。はるちゃんがシュンとした記憶はたった二度。一度めは小学生の頃、はるちゃんちにいた飼い猫ガーちゃんが帰ってこなかった時。二度めは中学生の頃、陸上の大会でレース中に足を痛めて棄権した時。つまり、よっぽどのことではこうはならないはるちゃんなのだ。  僕はいたたまれない気持ちになって、そわそわと辺りを見回した。しかし何にもいい考えが浮かばないので、とりあえずはるちゃんの隣のブランコに座ることにした。  ブランコの正面には公衆トイレがあって、さらにその隣には一本の木があった。  それは桜の木だった。  さらにその奥の方には公園の外にある梅の木々が見えた。  小さい頃、僕らは桜の木を「はるちゃんの木」、外の梅林を「冬くんと召使いたちの木」と呼んでいた。  僕はその名称について度々抗議した。なぜ僕は召使いたちの中に紛れてなきゃならないのかと。当然だろう。  しかし、はるちゃんはいつだって平然と答えたものだ。 「だって冬くん、私の言うこと聞くのが好きじゃん」  その、いつものはるちゃんに比べてどうだろう、今のはるちゃんの落胆具合は。 「なあ、元気出せって」  僕はなるべく普段通りを装ってはるちゃんに話しかけた。実際、はるちゃんは元気な方がはるちゃんらしいと思っていたし。 「桜の花言葉、知ってる?」  唐突に顔をあげて、はるちゃんは僕に聞いてきた。 「え、なんだろう、派手、とか?」突然の質問に動揺しながらがらも、僕は思いついたことを答えてみた。 「ひどいな」はるちゃんはくすっと笑いながら言った。「優美とかおしとやかとか、桜の種類によっても違うみたいだけど、そんなのなんだよ」 「へえ、いいじゃん」はるちゃんにぴったしじゃん、と思ったが、口には出さなかった。 「ありがと」はるちゃんはそう言って、また何か考え込んでしまった。 「ねえ、何か悩み事?」なんだかじれったくなってきて、僕はついついそう聞いた。「そんなにへこんでること滅多にないだろ?いまさら隠すこととかないじゃん、言ってみなよ、いつもみたいに笑ってさ」  僕がそう言うと、はるちゃんは一瞬僕をにらんだ……様に思えた。それは本当にわずかな出来事で、いつもだったら見逃していたんじゃないかというほどだった。 「じゃあ、言うけど……」 「どうぞ」遠慮がちなはるちゃんを、僕は促した。 「実は……私、陸上部の結城くんと付き合うことになりそうなの」 「……へえ」僕は、へえ、と思った。それからへえ、と思ったし、そのあとしばらくへえ、と思っていた。なぜか思考が止まっていたから。 「ずっと前に告白されて、なんとなくはぐらかしてて……ねえ冬くんは、どう思う?」  え?と僕は思った。そうか、「付き合うことになりそう」ということはまだ付き合ってないんだ。だから僕にどうかと聞いているのか。でも、それはどういうことなんだ?結城とはるちゃんの相性を、幼馴染の僕に聞いているっていうのはつまり、どういうことなんだ? 「え、スッゲーお似合いじゃん」僕は自分の舌を引っこ抜きたかったけど、なぜか言葉が止まらなかった。「いやー、だって結城っていったら走り幅跳びで県大会三位とか、そういうすごい子でしょ?尊敬するなー。身長だって僕より30センチ近く高いしさ。それに男子にも女子にも人気あるじゃん。いや、だってさ、僕の入ってる文芸部って笑っちゃうほどひねくれてるやつが多いんだけどさ、それでも結城のことは褒めてるもん。確か一年の女子部員が結城くんのことを異世界転生させてたな。あ、いや、小説の話ね。創作の。そんな結城がまさか、はるちゃんに告白を……そっかー、でもたしかに結城って、ちょっとふわふわしてるところ、あるもんな。はるちゃんみたいに面倒見のいい子、好きなのかもな。案外甘えん坊だったりして、あはは、あはは、あははははははは」  僕がべらべらと話すのを、はるちゃんは一言も発さずに聞いていた。背中がギクっとした。 「梅の花言葉はさ」そう言いながら、はるちゃんはブランコを立った。「梅の花言葉は……忍耐とか忠実だって」 「ああ、そうなんだ」僕は力なく答えた。 「冬くんはもっと……ううん、なんでもない」  はるちゃんはそう言って公園を出て行った。  僕はその時、はるちゃんが遠ざかっていく可能性に初めて真剣に思い当たった。    結局、はるちゃんは結城と付き合った。その間、はるちゃんが僕を迎えに来てくれることはなくなった。結城とはそれから約一年半つきあって、受験の直後に別れたらしい。詳しいことは分からない。  はるちゃんが結城とつきあっている間も家族ぐるみの付き合いは続いた。母たちは何かを感じ取って少し気を揉んだらしいけど、それでも楽しい時間は流れた。  僕らは春から大学生になる予定だ。僕は自宅から通学するけど、はるちゃんは地方の国立大学に進学するため家を出ることになった。  僕は背が平均身長くらいまでのびて、チビではなくなっていた。そうすると自分の中にあったコンプレックスが半分くらいになって、世の中が生きやすくなった。  はるちゃんが家を出る日、僕は家族と一緒に空港まで見送りに行った。  さすがはるちゃんと思ったのは、やりなれてないはずの化粧がとっても上手だったことだ。はるちゃんは綺麗だった。  帰りの車中、僕がはるちゃんに告白していた世界を想像していた。それはやっぱり姉と弟みたいな関係の延長だったのだろうか。  分からないまま、車は公園の脇を通り過ぎた。  梅の花は気づかないうちに散っていて、桜の花が満開だった。
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