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その日は、お見舞いに花を買って行こうと思って、病院に向かう前に、僕は家の近くの花屋に立ち寄った。
大学の友達がアルバイトをしていて、ちょくちょく遊びに行っては、何本か花を買って家の花瓶に挿していた。彼女はそれを喜んで眺めてたっけ。
「いらっしゃいませー。」
扉を開けると、店長の大月さんが出迎えてくれた。
「ごめんなさい。今日働いてる友達お休みなのよ」
大月さんは柔らかい口調で、少し残念そうに言った。
「構いません。お見舞い用に花を何本かお願いできますか。」
僕は千円札を二枚出すと、大月さんに渡した。
「了解。お見舞い用なら、明るい色のお花が良いわね。適当に作っちゃって良いかしら」
「お願いします」
僕は、カウンターの近くの椅子に座って、つきっぱなしのテレビに目を向けた。
ニュースはスノードロップ症候群の話題で持ちきりだった。
ここ1週間超で同様の症状が出ている人は1000人近くなっていた。
「これ、本当に花が原因なのかしらね」
大月さんは花を選びながら、テレビを見入っている僕に話しかけた。
何が原因かわからないという不安で、外を出歩く人が極端に減っていた。
大学も臨時休校になり、事態が解明されるまで、自宅で待機するように指示が出た。
僕も病院以外はほとんど外に出ていなかった。
皆、自分が明日いきなり石像のようになってしまうんじゃないかという恐怖に怯えているように見えた。
「スノードロップってこの花屋さんにもあったんですか」
「あったけど、政府から派遣された特別業者みたいなのが来て、全部持っていっちゃったわよ。」
大月さんは、ガーベラを何本か選ぶと、カゴに手際良く挿していった。
「スノードロップは、新聞でも『死』が連想される不吉な花だというようなマイナスな側面ばっかり押し出されてるけど、それは裏花言葉みたいなやつで、本当はもっと良い言葉で溢れてる花なのにね」
「裏花言葉ですか?」
「そう。昔から続く伝説があって、その側面だけ引っ張り出してきちゃってるって感じかな。皆、何か分からないものは、何か言いがかりをつけて、一番可能性の高いもののせいにして、少しでも安心したいのかもね。
よく言われる花言葉は希望。
昔、神様から楽園を追い出されたアダムとイヴが、冬の寒さの中で困っていると、哀れに思った天使が、舞い散る雪をスノードロップの花に変えて、もうすぐ春がくるから、絶望してはいけませんよって言ってくれたんだって。そんな由来があるのよ。逆境の中の希望。そういう意味合いが特に強いかしら」
「そうなんですか」
「こんな時にいうのもどうかと思うかもしれないけど、私はあの花結構好きなの。他には、こんな話もあってね」
大月さんは、花を挿した籠にリボンをかけながら言った。
「雪は、もともと無色だったの。それで色々な花に、僕に色を分けてよってお願いしたんだけどね、どの花もあなたに色はあげませんって断ったの。でも、スノードロップだけが自分の花弁の白い色を雪に分けてあげたっていう優しい話もあるのよ」
僕は、その話を聞いて、自然と笑顔になった。
「なんか、僕が彼女と最初に会った話みたいです」
「あら、素敵な彼女さんなのね」
大月さんは、完成した花籠を手渡すと、「はやく治りますように」と言って、僕を見送った。
僕は頭を下げて花屋を出た。
花籠に僕が渡した2千円が丁寧に添えてあったことに気づいたのは、随分後の話だ。
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