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殺してばかりいると、人の命が紙切れ同然に思えてくる。
血飛沫を上げ絶命した護衛を投げ捨て、ナイフの血脂を布で拭う。もう慣れたことだ。
巫女暗殺のために王城に潜入して、一時間ほど経っただろうか。内部の警備は拍子抜けするほど手薄だった。違和感はあるが、ひとまず好都合だ。
気配を殺して、巫女の部屋に滑り込む。
室内は豪奢な調度品で溢れ返っていた。天鵞絨のカーテン、毛足の長い絨毯、美しい絵画に陶人形。その一方で、本物か模造品か、薄汚い骨が風変わりなアートのようにあちこちに飾られている。部屋を満たす甘い香りには、薄く血臭が混じっていた。
キリは顔を歪めた。巫女とやらは相当悪趣味な女のようだ。
当のご本人は、部屋の中央にある天蓋付きのベッドに、キリに背を向けるようにして腰掛けている。緩やかに波打つ淡い金髪と、花嫁衣装のような純白のドレス。ご丁寧にヴェールまでかぶっている。
キリは表情を消した。
気配を悟られないように近づいて、頸動脈を切り裂いて、終わり。五年前にキリから全てを奪ったこの女を殺すのだ。今日、ここで。
慎重に進んでゆく。あと二歩というところで、微動だにしなかった巫女が突然立ち上がった。ふわりとヴェールが落ちてゆく。
「こんにちは、殺し屋さん。待っていたわ」
息が止まった。
衝撃は、言葉そのものに対してではない。声だ。鈴を転がすような綺麗なその声を、自分は知っている。
「何も答えてくれないの?酷いわ、あんまりだわ。あなたがちゃんと辿り着けるよう、人払いまでしたのに」
有り得ない。何を言っているのか理解できない。
どうして巫女が、この声で言葉を紡ぐ?
「ねぇ、殺し屋さん。何か言ってくださいな?あなたのこと、何ヶ月も前からずっと待っていたのよ?」
「ッ!」
「おかしいと思う?いいえ、何もおかしくないの。わたくしは奇跡の巫女。神の声を聞く、唯一にして絶対の存在です。あなたがわたくしを殺しにくることくらい、ずっと前からわかっていたのよ?ね、赤い目をした死神さん」
甘ったるい笑い声が鼓膜を引っ掻く。
聞いてはいけない。考えてはいけない。
巫女が、王すら凌ぐ権力を手にした理由。巫女の眼球を回収するよう指示した隣国の依頼主。
アリシアが王都につれ去られた時期と、巫女が現れた時期。
そこまで考えて、キリは首を横に振った。考えるな。仕事として引き受けた以上、失敗は許されない。
汗で滑るナイフを握り直し、ほっそりとした白い首に狙いを定める。
だが、彼女は振り返った。
キリがずっと想い続けてきた、美しい勿忘草色の瞳で。
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