その4

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その4

二人は階段の下をのぞき込み、声の主を探した。知りたいことは山ほどある。彼が説明してくれるかもしれない。 すぐに見つかった。 パンクスだ。 しかも、2人。 彼らは階段の下の方に座り込んで、紙コップに入った酒らしき飲み物を飲んでいた。年はずいぶん若い、見たところ20代前半という感じか。 「誰も見てなかったよね?」 声をかけてきたのは細めのモヒカンに細い目つきの、ニヤニヤ笑いを浮かべている男。袖を切ったパッチだらけのGジャンを着て、スキニーなボンデージパンツを履いている。少年みたいな顔つきだ。 「バレたら大変だから。」 そう言葉をつなげたのは、短い金髪をスパイクにして白いタンクトップにレザーのパンツを履いた小柄な男。その顔はやっぱり幼くて、しかも人の好さそうな表情を浮かべている。 どちらも見かけない顔だ。いや、正確には…。 「ねえ…これ、なに?どうなってるの?ここ、ギヤと2百万だよね?誰がこんな…。」 おそるおそるアイヴィーが聞いた。口を開くと質問が止まらない。誰でもいいから、説明して。 返事の代わりにモヒカンは親指を横に向け、ギヤの入り口を指し示した。 「中に入れば分かるよ。」 そう言われて、アイヴィーとシンは思い出したように入り口を見た。 古ぼけた電気看板。タバコのヤニと落書きで汚れた壁。「ギヤ」と書かれた黒い金属扉。 昔のまま。自分たちが最後に訪れた、あの時のギヤ。 中からはワイワイと騒がしい声が聞こえてくる。 二人のパンクスはニヤニヤしながらこっちを見ていた。ずいぶん生意気なやつらだけど、不思議と腹も立たない。 アイヴィーは問いかけるようにシンの顔をのぞき込んだ。シンも戸惑った顔をしていたが、ややあってゆっくりとうなずく。いずれにしても、進むだけ。 二人は重い扉を開け、ギヤの中へ入っていった。 「うわあ。」 アイヴィーは思わず声をあげた。 壁と言わず天井と言わず一面に貼りつけられたフライヤーやステージ・パス。天井からぶら下がったオブジェ。真っ赤なバー・カウンターと、その上に乗ったチュッパチャップスのデカい入れ物。奥に鎮座するホワイトシルバーのマネキン。 そこは、二人が覚えているギヤそのものだった。 「信じられない。」 「ああ…。」 シンもため息を漏らした。 タバコの煙も酒の匂いも、全てがあの頃のまま。 入り口からライヴ・ホールをつなぐ、狭く横に長いスペース。バー・カウンターの向かいあたりにベンチが置かれ、ゴチャゴチャしたその場所には大勢のパンクスたちがひしめき合い、そこかしこで紙コップを片手に談笑を繰り広げていた。モヒカン、スパイクヘア、リーゼント、スキン。革ジャン、鋲ジャン、ガーゼシャツ、アナーキーシャツ。タトゥー、スタッド、シルバー、キャッツアイ。 さながらパンクの品評会だ。 ざっと見渡したが、二人の知った顔はいない。ただ…。 入り口の正面奥には机が置かれ、その後ろに長髪の男が座っていた。骨太で筋骨隆々だが敏捷そうで、いかにも鍛えているといった雰囲気。顔つきもごつく、むき出しの腕には鬼の顔のようなタトゥーが刻まれていた。 「はい、どうもー。こっちでお願いしまーす。」 二人に気づいた男が声をかけてきた。どうやら受付らしい。そういえば、昔もここが受付に使われていたっけ。 「今日はフリーライヴだから、ドリンク代だけ下さーい。」 シンがためらいながら千円を渡すと、男は机に置かれた紙に数字を記入し、そして二人に何かを差し出した。 「ねえ、シン!これって!」 アイヴィーが歓声をあげた。 薄黄色をした、長方形の小さな厚紙。 ギヤのライヴ・チケットだ。 「こんな色だったんだね。忘れてたよ。」 そう言いながらアイヴィーはチケットをひっくり返した。日付のスタンプは乱暴に押されて文字が滲んでいる。横書きで一番左に地図とロゴが載っている、シンプルなデザイン。 自宅でも、しばらく見かけていない。持っているのが当たり前すぎて、いつの間にかどこかへ消えちゃったチケット。 「ねえ、今夜はどういう…。」 アイヴィーは受付の男に話しかけたが、彼はアイヴィーの後ろに向かって大きな声をかけた。 「はい、どうもー。こっちでーす。」 振り返ると、また別のパンクス。新しいお客が来たらしい。仕事の邪魔をするわけにはいかない。シンとアイヴィーはとりあえずバー・カウンターの方に移動した。 笑い声の絶えないゴミゴミしたスペースを、二人は人の波をかき分けて進み、やっと一番奥の壁際に落ち着いた。例のマネキンが置いてあるその奥。このマネキンにも、よく意味もなく寄りかかってたっけ。 アイヴィーが小声でシンにささやく。 「ねえ、どういうことなの。」 「…分かんねえ。」 シンも当惑した顔であたりを見渡している。 ソファーの近くで、誰かが爆笑する声が響き渡った。 “夢なのかな…” アイヴィーはそっと、自分のお尻をつねってみた。 夢にしては、ずいぶんハッキリと痛い。 なら、いったい…。 「ここ、何年も使ってないはずでしょ。」 「ああ。」 「どうして電気がついてるの?空気だって、そりゃ地下だから良くはないけどさ、普通に過ごせるし。これだけ長い間使ってない場所って、もっと汚いんじゃないの?そもそも、どうして昔のままなの?なんでみんな普通にしてるの?なんで…。」 「落ち着け、アイヴィー。」 シンはアイヴィーをなだめた。 「俺だって知りてえよ。」 そう言いながら、彼はゆっくりと横を向く。 「特に、あの奥がどうなってるのかは、な。」 その言葉に、アイヴィーも同じ方を見る。 そう、さっきから二人とも感じ続けている、ズンズンと腹に響くような音。二人にとっては子守唄のような慣れ親しんだ音。ライヴハウスに、バンドマンにとって無くてはならない音。 そこに何があるのか、もちろん二人とも分かっている。 分厚い防音ドアの奥にあるのは。 ライヴ・ステージ。 「行こうぜ。」 シンの言葉に背中を押されるように、アイヴィーは扉の方へ向かった。 ドアのレバーに手をかけたのは二人同時。アイヴィーの手をシンの手がしっかりと包み込んだ。 このドアを開けて、期待に満ちた夜の始まりを数え切れないほど味わってきた。あの時の感覚が戻ってくる。 二人はアイ・コンタクトをかわし、同時に深呼吸をして、そして一気にドアを開いた。 戻ってきた!
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