その7

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その7

立ち上がったついでにフロアに戻ってみると、メンバー全員が女性のハードコア・パンクのバンドが演奏中だった。その雰囲気にアイヴィーは思わず最前列に駆け寄った。 初めて観たバンドだけど、めちゃくちゃカッコいい! 演奏力も確かでビジュアル的にも映えるし、立っているだけで絵になる。何よりもフロントの女性のオーラがすごい。 黒いワンピースのドレスに長い金髪のパーマを振り乱しながら咆哮をとどろかせるギター・ヴォーカル。黒いアイラインに対して垂直に入ったアイメイク。 アイヴィーが死ぬほど憧れたあの人にそっくりだ。彼女みたいになりたくて、最初は金髪のパーマをあてた。似合わないと思って赤にした。以来、赤い髪がアイヴィーのトレードマークになった。 あの人は今もステージに立っている。パンクの最前線からは遠ざかってしまったけど、気の合う旦那さんと一緒になって、バンドと人生をエンジョイしている。スタンスは昔と変わっても、今のあの人も最高にカッコいい。 目の前のこの女性はどう見ても自分より年下。 初めてなのに何度も観たような、不思議な気分に陥りながらも、それでもアイヴィーは久しぶりにフロアで大暴れしてしまった。いちオーディエンスとしてここまで燃えたのは、一体いつ以来だろうか? ああ、これで今夜ここで演奏できたら、どんなにか幸せだろう! “ズギューン!”のメンバーがここにいないのは悔しいのひとことだ。こっそり連絡を取ったって誰にも分らないとは思うけど。 アイヴィーはそんな思いを噛み殺した。 ギヤにウソはつけない。 ライヴで熱くなった身体を冷やすため、アイヴィーはいったんギヤの外に出た。シンも後ろからついてきた。 階段はフロアよりもいくらかヒンヤリとしていて、アイヴィーはホッとした。パンクスたちが階段に座ったり、寝そべるようにしてリラックスしているのも昔と同じ。最初にここにいた二人はどこかへ消えていた。 地上に出るわけにはいかない。バレたら大変。 「ねえ、2百万ボルトにも行ってみようよ。」 アイヴィーはそう言うと、階段を降り始めた。シンは黙って後に続く。 階段は10段ほど降りると右に折れている。さらに10段ほど降りた、その突き当りが2百万ボルトだ。 「あれっ。」 アイヴィーとシンは右に曲がる踊り場で立ち止まった。 2百万ボルトは開いていない。 照明もついておらず、階段の下は真っ暗だ。 シンがスマホのライトをかざしてみたが、ほとんど役に立たなかった。 二人は踊り場でしばらく佇んでいた。またライヴが始まったようで、パンクスたちがぞろぞろとギヤの中へ入っていく。 違和感はなかった。今夜、2百万ボルトがギヤのように営業していない理由は二人にも何となく分かる。 2百万ボルトは、今も生きている。 このライヴハウスのフロア横にあった、2百万ボルトの象徴ともいえる壁画は、いま新しい2百万ボルトのステージのバックを飾っている。どうやって持って行ったかは聞いてないけど、魂は受け継がれた。 アイヴィーもシンも新しい2百万ボルトに初めて行ったとき、そこが確かに2百万ボルトなのだと心から感じた。 だから、この場所を懐かしく思い出すことはあっても、失われたことを嘆く必要はない。 きっと、そういうことなんだろうな。 二人は階段の上に立ち、何も見えない暗闇を見つめながら、かつての2百万ボルトに思いを馳せていた。 階段や踊り場には、二人のほかに誰もいない。 「俺たちも戻るか。」 「…うん。」 シンはゆっくりと階段を上り始めた。 アイヴィーはためらうようにその場にとどまっている。 「…ねえ、シン。」 言うかどうしようか、迷ったけど。 二度と来ることはできないから。 悔いは残したくないから。 「どうした?」 シンが振り返る。 「この場所のことも、覚えてる?」 いま二人が立っている、この踊り場。 思い出だらけのこのビルの中でも、とりわけ大切な記憶が眠る場所。 そう、二人の想いが通じ合ったのが、この踊り場。 「別に、だからどうってこともないんだけどね。」 アイヴィーは何かを弁解するように慌てて言葉をつないだ。 どうってこと、大あり。絶対に忘れない。 あの時も、シンはあくまでシンだった。気の利いた口説き文句なんてひと言も出てこなかった。 その代わりに…。 「もういいや、行こうよ。」 アイヴィーがそう言って階段の方に向き直った時、力強い手がアイヴィーの両肩を押さえた。彼女はあっという間に、だが優しく踊り場の壁に押しつけられた。 アイヴィーの目の前にはシンの顔。あの時みたいに意志の強い表情。 年齢こそ重ねたけど、そう、あの日と同じように。 シンもちゃんと覚えていたんだな。 普段の彼なら絶対にこんなこと、しない。お世辞にもロマンチストなんかじゃない。 でも、こんなにもあの日のことを美しく思い出す夜は、もう二度と来ないだろうから。 言葉よりも、もっと雄弁に語り合う方法で。 アイヴィーは目を閉じなかった。あの時と同じように。 彼女は彼の背中に手を回した。 彼も同じように彼女を抱き寄せた。 二人はずいぶん長い時間、唇を重ねていた。
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